応仁の乱の前の飢饉のときでさえ、京都の餓死者8万人以上と記録に残されています。
また、戦国時代の男子の平均寿命は50年どころか、37歳位だったそうです。
応仁の乱後、灰燼に帰した京都にあって、一休宗純が大徳寺を再興した年齢は81歳と言われていますから、驚くべき長寿でありました。
このように室町から戦国の長期にわたる艱難の時代に
有漏路より 無漏路へ帰る 一休み
雨ふらば降れ 風ふかば吹け
の句をシラっと詠んでしまう一休さんの強さに魅力を感じます。
夢の中の虎は夢の中の鉄砲で
トンチで有名な一休さんですが、幼少期のときの将軍は足利義光でしょうか。
将軍に、夜な夜な屏風から抜け出して悪さをする寅退治を依頼された一休さんは、「退治して見せましょう」と、縄を用意してもらいました。
そして、将軍に「屏風の寅をここに引き出してください。」と頼んだのです。
将軍はこの一休さんの頓知(機転)に大いに喜び、褒美を与えたと伝わっています。
この頓知話は、単に頓知を問うということだけではなく、意識状態の違いという深い真理を示しているのではないかと思うのです。
最近の理論物理学では、この世界は10次元(あるいは11次元との説もありますが)から構成されてて、並行宇宙も十分考えられると言われています。
私は、異なる意識状態のことを考えるといつも、マハリシ先生の
「夢の中の虎は夢の中の鉄砲でしか打ち殺すことはできない」
という解説を思い出します。
意識状態により知識は異なる
異なる意識状態には名前が付いています。
「眠り」は「夢」とは異なり、夢は「目覚め」の意識とは異なります。
夢の中で虎に襲われ苦しんでいる人を、目覚めの意識の世界の実際の鉄砲で退治してあげることはできません。
夢の中の虎は夢の中の鉄砲でしか打ち殺してあげられないのです。
皆さんはパソコン初心者に電話で操作を教えてあげるときの難しさを経験されたことはありませんか?
こんな時、プロは画面を共有化して、相談者のパソコン上で問題点を見つけ出し、いとも簡単に解決してくれますよね。
つまり、意識状態が異なる、言い換えれば、低次の意識とは、自分のパソコンの画面(自分の見ている現実だと思っている世界)上で問題点に巻き込まれ悪戦苦闘しているのに似ているわけです。
このような意識に関する真理があるため、マハリシ国際大学のモットーは
「知識は意識の中に構築される] knowledge is structured in consciousness ウィキベテアによる解説
異なる意識状態において、知識は異なる」
というのです。
ですから意識を高めなくてはなりません。
初心者にとって、パソコンの中身はミステリーそのものですが、熟達した技術者にとっては、パソコンの中身はもはやミステリーではありません。
TMにより、絶対的で枠のない無限の意識を体験し、瞑想が終わったら、眠り、夢、目覚めの通常の意識状態へと交互にさらすだけで、
私たちは、機械的に、静かに 滑らかに 優雅に 完全に 高次意識へと自動的に進化することができるのです。