根は地面の下にあって目に見えないが、木全体をしっかりと支えている。しかし真に木に滋養を与えているのは無色の樹液である。

生命は木に例えて説明できます。

一本の木の生命全体は、幹、枝、葉、花、実などの木の外側にあるとさまざまな部分と、根という内側の部分から構成されています。

しかし、もっと詳しく見てみるとわかるのですが、確かに根は木の外側の基礎になってはいても、根そのものには絶対的、独立的な地位は無いことがわかります。

根は養分すなわち樹液に依存しており、その樹液は根の外側の領域から来ています。

じつは樹液こそが木全体のエッセンスなのです。

樹液が根に栄養を与え、根を通じて中に入り、木のすべての面を生み出しているのです。

ですから、木の本質は養分であり、木の基盤は外側の形や内側の根の境界を超えたところにあるのです。

このように、木の生命の基盤は超越であり、木の内側の境界を超えています。

それは、木の本質的構成要素が純粋な状態で見いだされる領域です。

 

同様に、人間の生命、あるいは宇宙万物のどんな個別生命にも三つの面、すなわち外側内面超越面があります。

生命の外側は肉体です。内面は人格の主観面であり、これは体験や行為の過程に関係するものです。

生命の超越面は「存在」です。

 

心は「存在」と体の中間に位置しています。

心は、内に隠れた本性をもつ「存在」を体や相対界の現象面に結びつける働きをしています。

つまり、心とは、生命の絶対面と相対面を調和させる絆であるのです。

一方の極において、心はその最も精妙な面で、絶対実存の核心である「存在」に接触し、

他方の極において、心は相対実存の粗大なレベルに接触しています。

「存在」との関係から見れば、心とは振動する意識であると定義できるでしょう。

(「心と存在」57ページ参照)

身体との関係から見れば、心は神経系の源であり、したがって、体の源であるともいえます。

それゆえ、心と人間の関係は、ちょうど根と木の関係にそっくりです。

心の働きは根の働きに似ています。

根には二つの働きがあります。

その一つは、大地から養分を吸収すること、

もう一つは、その養分を木の地上部分に送ってやることです。

 

心と神経系は相互依存の関係にあります。

しかし、言うまでもなく、心はその器官である神経系よりも精妙なものですから、心を重視するほうが賢明と言えます。

特に心の健康の問題を考えるときには、そうであると考えられます。

 

木の成長を妨害する要因は、いくつも考えられるでしょうが、種子そのものの弱さは、他のどんな障害よりも重大です。

同じように、願望の成就を妨げる要因はいろいろあっても、想念の力の弱さは何よりも大きな障害です。

強い種子があれば、砂漠にも木を生やすことが可能でしょうが、種子がもともと虚弱であれば、いかに多くの養分を与えても助けになりません。

基本的に想念の力が強ければ、それは自然に成就への道を進みます。

 

願望を満たすことができないために、心に不満が生じ、そのために緊張も生じ始めるといった場合、

このような緊張を取り除く方法は、思考の力を増大させて心を強化すること以外にありません。

これは、瞑想により現在意識を拡大することによって、達成することができます。

(「超越瞑想」71ページ参照)

心の中の緊張が大きくなると、緊張は神経系を通して、体にも現れてきます。

不安な心は、不満のうちに絶えずあれやこれやの問題を考え続けて、神経系と体を消耗させ、苛立たせます。

主人がいつも決断がつかず混乱した命令ばかりを出していると、

召し使いは次第に疲れていらいらしてきて、結局なにもすることができません。

同じように、心がストレスの状態にあると、神経系と体は疲れ果ててしまい、能率的に機能を果たせない結果となります。

 

このように、心のストレスは病気を引き起こしたり、臓器に変化を与えることさえあります。

言うまでもないことですが、このような悩みを癒す方法は、心のゆるぎない安定した状態を作り出すことです。

これを達成するためには、現在意識の領域を拡大し、心を強化すればよいのです。

現在意識を強化することによって、心と神経系の間の調和が確立され、その結果、自然に体の機能が滑らかになり能率的になります。

神経系とその末端器官である体に、心をこのように調和させる方法をとれば、心の完全な健康が維持されるようになるのです。

このことは、超越瞑想の規則的な実践によって達成できます。

参照:存在の科学と生きる技術「超越瞑想」マハリシ出版 第二部『生命』および第七章『健康への鍵』より