リシ・デーヴァター・チャンダスとサンヒター
 
 
なぜ最先端の理論物理学者たちは、古代インドのヴェーダの知識に興味を持つのでしょうか。
 
上のイラストは、赤ちゃんクリシュナの絵です。
 
ヴェーダとヴェーダ文献の40の現れのひとつに「プラーナ」文献があります。
 
プラーナは永遠の、太古のという意味ですが、
一言で言うと、自然そのものの働きが擬人化されて表現されている文献です。
 
クリシュナの絵はインターネット上にたくさんアップされていますが、
 
この絵は、最近インドでもあまり見かけなくなりました。
 
意識の無限の大海のなかにクリシュナが無邪気に楽しんでいる絵です。
 
自分の口に自分の足をくわえていますよね。
 
この絵では、足をはっきり咥えていませんが、
昔インドのニューデリーの街中でたくさん売られていた絵の中では
もっとはっきり咥えている絵として表現されていたように思います。
 
これは宇宙の果てまで自分の内にあることを表現しているそうです。
 
梵我一如に通じると思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【宇宙創造】
 
この絵が、宇宙創造がどのように始まったのかを
知るヒントになると言われています。
 
クリシュナはこの絵のように無邪気に楽しんでいるのですが、
これがサンヒターを表しています。
 
気分よく、すべてがここにあるという一体、安心、全体性
すべてを含む大海のような無限の意識です。
 
サンヒターである一(いつ)なる意識
と同時に
宇宙の果てまで自分の内にある状態。

話は飛ぶように思われるかもしれませんが、
 
「ウロボロスの蛇」という絵があります。
 
これも同じ意味と理解できます。
 
宇宙の始まりと果てが同じ場として統一されている様を表示している
優れたイラストだと思います。
 
図はインターネットからお借りさせていただきました。
 
 
 
アローラニヤ-ン マハトマヒヤーン
 
というサンスクリット語の表現があります。
 
最も小さいものより小さいものは 最も大きいものより大きい
 
という意味だそうです。ウパニシャッドの一節ですね。
 
宇宙創造の物語
 
さて、宇宙創造の物語ですが
 
クリシュナが気分よく過ごしていた ある時、
 
自分がまとっている布の先から自分の足先がひょっこりと
とび出ていることに気づきます。
 
クリシュナはその足が自分の足であるにもかかわらず、
 
何か得体のしれないものが布の先から出ていると勘違いして、
 
「ぅワッっ」
 
と驚いてしまいます。
 
その瞬間、一つであるものが、知るもの知られるもの
 
に分かれてしまい、宇宙創造が始まった
 
と言われているのです。
 
サンヒターとは三位一体性で、
 
その中にリシ・デーヴァター・チャンダスが
 
元来ふくまれているのですが、
 
サンヒターのが3つに分化して表れるとき、
 
創造が始まります。
 
一つの境界のない無限の意識の海から
 
創造が始まる瞬間です。
 
 
 
超越瞑想を始めた当初は、超越的な純粋意識を経験しても
 
無・空・一如の体験なので、そこから考えなって出てきたときに
 
「アッ 今、何もなかった気がする」と後から分かる方が多いのですが
 
しばらく瞑想の実習を重ねるに従い、
 
純粋意識の中で、目覚めている自分に気が付くようになります。
 
カイバリヤ 一元性の体験です。
 
日本では、一元性というより、
 
二つでないものという意味で
 
不二 というような素晴らしい表現をしますよね。
 
つまり、であり
 
でありというのが真実なのですが、
 
理屈でなく、体験(意識のヨーガの体験)により
 
ここまで知覚を超えた知覚として認識できるところまで
 
訓練してくださったマハリシ先生は凄いと思います。
 
「ハイゼンベルクの不確定性原理」の破れと宇宙創造
 
そして、
 
これは、現代物理学の観点から見ても
 
興味ある話としてみることができるでしょう。
 
物理学の根本「ハイゼンベルクの不確定性原理」の破れ
また、これは、アーユルヴェーダがなぜ、ヴァータ・ピッタ・カパの三つの
 
ドーシャに分けることができるのか、にも通じています。
 
マハリシは、リシ・デーヴァター・チャンダスのギャップから
 
ヴァータ・ピッタ・カパというドーシャが現れるといいます。

 

 
前説が長くなりましたが、
 
次回から、やっと、マハリシヴェーダ科学による脳波の観点から
 
リシ・デーヴァター・チャンダスを見ていきたいと思います。