中学生の時、家族と観た映画で忘れられないのがチャールトン・ヘストン主演の「ミケランジェロ」でした。

当時の題名を調べると『華麗なる激情』というタイトルだったのですね。

システィーナ礼拝堂の天井画を、手元の灯りを頼りに仰向けの姿勢で描いている時、顔料が目に入り、激痛に歪む顔のシーンと、大理石の巨大な塊を山から切り出すシーン等を今でも鮮明に思い出せ、私にとって極めて印象的な映画でした。

教皇ユリウス二世に命じられ、天井画を四年の歳月をかけて完成させたのがミケランジェロ三十三歳の時だったようです。

また、私が高校生になったとき、東京・港区の画廊に「ピエタ」と「ダビデ」像がやってきました。

ミケランジェロ作「ピエタ」像

それはレプリカではあったのですが、大理石で寸分たがわず造られていて、美術館の展示ではないので、私は像に触れられるほどの距離から時間を忘れて見入っていました。

ミケランジェロが二十六歳から四年の歳月をかけて彫り上げた『ダビデ』像は高さ四・三メートルにもなり、旧約聖書の英雄を内面の炎まで表現したこの作品を人々は絶賛しました。

この大作に挑む際、ミケランジェロは、いきなり大理石をノミで刻み始めたことから、驚いた周囲の者が「なぜそれほど急ぐのか」と尋ねると、「石の中に埋もれている人が早く解放してくれ、早く自由にしてくれと、私に話しかけているのだ」と答えたと言います。

ミケランジェロによれば、石の中にはすでに潜在的にその像は内包されており、芸術家の手によって余計なものを取り去られ自由になるのを待っているというのである。

『わたしは大理石を彫刻する時、着想を持たない』

『「石」自体がすでに彫るべき形の限界を定めているからだ。私の手はその形を石の中から取り出してやるだけなのだ』・・・

ミケランジェロのこれらの名言に触れるたびに、私は意識の研鑽もまったく同じであるように感じるのです。

ひとは誰でも純粋で、一点の曇りもない真我を内面に秘めているのですが、知らず知らずのうちにストレスという自分ではないものを身にまとい、大理石の中の像のように雁字搦め(がんじがらめ)になっているのではないでしょうか。

ミケランジェロが一日に削り出す石の量は、他の作家の数倍にもなったと聞きます。

超越瞑想はストレスを大変効率的に取り除くことのできる優れたテクニックです。

たゆむこと無く瞑想を続け、一日も早く、共に自分の本当の姿である真我の光を発することのできるよう頑張りましょう。