超越瞑想の実践方法は、マンツーマンの指導を通じて学ぶ必要があります。

書物で学ぶことはできません。

なぜなら、教師は、学ぶ人に対して、思考の微細な状態を体験する方法を示す必要があるばかりでなく、その人の瞑想が進むにつれて生じるさまざまな体験を確認する責任があるからです。

 

体験は人によって異なります。

そのため、瞑想中に起こりうる体験を全部書き記したとしても、それは実際の役には立ちません。

また、初心者がこれから体験することを前もって知っているのは、あまりよくありません。

その理由は、第一に、ある特定の体験を予想すると、そのことに注意を奪われて、有意義な深い体験をする可能性を失うことになるからです。

第二に、特定の体験を予想すると、自己暗示にかかって、その体験を空想するだけに終わってしまうおそれがあるからです。

このどちらの場合も成功は得られません。

 

この瞑想では、心は実際に微細な状態を体験しますが、そのためにある特定の体験を想像したり、予測したり、目指したりする必要はまったくありません。

この瞑想は、教師の個人指導どおりに行えば成功する、まったく単純な方法です。

 

普通の人にとって、想念そのものを体験するということはきわめて抽象的なことです。

想念の微細な状態を体験するということは、抽象的な体験の微かな状態を体験するということと同じです。

 

もし、そのように言われたら、普通の人は、そんなことは出来そうもない、と思うでしょう。

なぜなら、その人の心はいつも習慣的に、粗大な対象だけを、すなわち意識できる思考レベルの想念の粗大な状態だけを体験しているからです。

 

ところが、想念の微細な状態を体験し始めるとすぐに、ますます抽象的な体験に自分が引き寄せられていくような感じがします。

初心者が想念の微細な状態の体験を理解するのには、教師の個人的な助けがある場合でも、少々時間がかかります。

 

このような理由のために、瞑想実践の詳細について書き記すことは、実際的に価値がないのです。

超越瞑想を学ぶには、瞑想を正確に指導しその体験をチェックするための訓練を受けた、瞑想の熟練者による指導が必要です。

 

体験の確認は瞑想を実践する際の非常に重要なポイントです。

これもやはり、書物で学ぶことはできません。

瞑想の実践によって、必ず人生にさまざまな恩恵が得られるようになりますが、それは教師の個人指導と、学ぶ人の従順で協力的な態度にかかっています。

これは、きわめて独特でデリケートな瞑想法です。

重要なことは、この瞑想法kは「精神復活運動(現マハリシ国際財団)から正式な資格を与えられた教師からのみ学ぶべきものである、ということです。

 

超越瞑想 第二章「存在」に到達する方法 78ページ~79ページより。