マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー(TM運動創始者)によるヴェーディック・サイエンス入門編

                             明かされたヴェーダの神髄 1991年 月刊誌UTOPIAより

自然界の8つの基本的傾向

ヴェーダは、自然界には8つの基本的な傾向が働いていると述べています。

これについては、生命に見いだされるものを基礎として、非常に科学的な方法て述べられています。

私たちは肉体を持っています。

肉体はものを見、音を聞き、匂いを嗅ぎ、味を感じ、何かに触れます。

これが五感です。

しかし、目が開いていたとしても心がそこになければ、人はものを見ることができません。

つまり、視覚にはもっと基本的な何かがあり、聴覚にはもっと基本的な何かがあるというわけです。

これは、科学的な探求における非常に単純な段階です。

自分が持っているもの、自分が経験するものを記録します。

このような方法で、心、理知、自我(小我)を見出すことができます。

 

これらの8つの価値、五感、心、理知、自我が、自然の法則として記録されています。

ヴェーダでは、これらは「プラクリティ」と呼ばれています。

ヴェーダ文献によれば、これらの8つのものが、創造界全体の根本的な基礎なのです。

そこから、自然法が自然の諸法則の8つの経路を通して芽生え始めます。

自然法の陰に表れていない状態がそれ自身の中で完全に目覚めている時、それを私たちは、「創造界全体の根底にある純粋意識」「純粋知性の場」と呼ぶことができます。

このレベルから、自然の諸法則の様々な芽が出現します。

高エネルギー物理学の言葉を使えば、さまざまなエネルギーのスパーク、さまざまな特徴をもつ微粒子が出現します。

これらの自然の諸法則の芽生えは、全体なる自然法からから生じます。

それは、5本の指が手のひらから生じるのと同じです。

てのひらは5本の指にとっての共通の場です。

5本の指が独自の特徴を持っているのと同じように、プラクリティの8つの価値、自然の本性の8つの価値も、独自の特徴をもっています。

 

この描写において私たちが知的に理解できることは、創造には芽吹きがあるということです。

創造界の根底には、なにかしら自身の中で目覚めているものがあるはずです。

そしてそれは、完全に自己充足の状態であるに違いありません。

なぜなら、それが8つの異なる基本的な価値として現れ、そこから、創造界全体へと発展していくからです。

 

ですから、私たちは創造のこのレベルを、形に表れていない非具象で、しかも完全に自己充足的であると考えます。

そしてまた、それは純粋知性と呼べるほど知的なものです。

純粋知性とは、「全体なる自然法」を意味します。

この純粋知性のレベルから、自然法がその価値を外に現し始めるとき、最初に8つの価値が出現し、そしてその8つの価値の組み合わせによって創造界全体へと展開していきます。

 

自然法が、創造界の具体的な姿へと自らを表します。

自然法がある形をとります。

ただし、自然法が創造界においてさまざまな形をとることができるのは、自然法が知性、意識であり、完全に自己充足的であり、あらゆる可能性を持つ場であるからです。

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続く

 

次回は「意識の中のヴェーダの構造」です。