日本一の宮大工と言われた故西岡常一棟梁の本のなかで、宮大工は刃物をいつでもすぐ使える状態に保っておくことが最低限必要と言っています。
そのため新人は、昼間は仕事、夜は刃物の研ぎの練習を重ね、自分が納得できるまで、空が白むころまででも研ぎの練習をし続けると書いてありました。
ところで、新人は幅の広いノミから研ぎの練習すると思いませんか。そのほうが当然簡単そうに感じますよね。
ところが逆なのです。必ず一番幅の狭いノミから研ぎの練習をさせるのだそうです。
(訂正:西岡棟梁の本を読みなおしたところ、最初は8分(24ミリ)から始め、だんだん細いノミに移行すると記されておりました。この記述は間違いです。訂正させていただきます。)
私も高校生のころから能面を掘る趣味があり、刃物をよく使ったのですが、研ぎは難しく、なかなか刃がつきません。
現代でしたらYouTubeで親切に教えてくださる動画が多くアップされていますが、私の高校生のころは、研ぎを学ぶすべがありませんでした。
なぜ、一番幅の狭い鑿(ノミ)から練習させるかと言うと、絶妙な力加減で、均等に、しかも平常心で研がないと、刃先が斜めに仕上がってしまい、使い物になりません。
鍛錬を続け、やがて幅の狭いノミの刃先がきれいに平行に研げるようになるころには、心と精神の歪みがすっかりとれ、安定してくるのです。
すると、だんだん幅の広い大きなノミも研げるようになります。それでやっと研ぎの基礎の完成です。
削ろう会
ヒノキ材を厚さ数ミクロン(1ミクロンは1000分の1ミリ)の鉋(カンナ)削りの技を競う「全国削ろう会」の大会では、削りカス(といっても宝物のようなものでしょうが)の厚さが数ミクロンを競う大会です。
毛細血管の先までも流れゆく赤血球は直径が7ミクロン、厚さが2ミクロンくらいです。
鉄に不純物が含まれ、研いでいくうちに顕微鏡で1ミリを1000倍に拡大してやっと見えるような不純物質が刃先にひとつあれば、その傷にひっかかって、削りカスにスーッと亀裂が入って裂けてしまい、優勝はできません。
刃先の微かな異常は目では確認できませんので、指の感覚で確かめながら研いでいきます。
西岡棟梁は、研ぎを教えませんでした。技術は見て盗むしかないのです。
そして、弟子がほんとうに行き詰まったとき、カンナで材木を削って見せ、そこに息を吹きかけ、小さく丸まっていた絹のように透明な木屑がピロピロ~ンと伸びてきたものを見せて、このように研ぐんだと、手本を見せるだけです。
槍鉋(ヤリガンナ)
そしてそして、その先に、さらに技術的に研ぎが難しい槍鉋(ヤリガンナ)があります。
槍鉋も西岡棟梁が、古文書をもとに復活したものですが、どうやって平たく反り返った槍のような刃先を上手に研ぐのか、ビデオを観てもそうそう簡単にできるものではないとすぐ分かります。
飛鳥時代には、今のような木の台のついたカンナは発明されていませんでした。ヤリガンナだけです。たぶん日本刀づくりの文化が槍鉋をもたらしたのでしょう。
槍鉋ですと、ヒノキの細胞を”スパッ”と切断できますので、表面が鏡のように平らになり水をはじくことができます。
このようにして1000年以上持つ日本建築が建てられているのです。
私は、このような日本の伝統を見るにつけ、瞑想との共通点を感じぜざるを得ません。
後半に続く