マーティン・スコセッシ監督の素晴らしいドキュメンタリー映画「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」が、2011年10月に上映された。試写会の会場の一つとして、スコセッシ監督とオリヴィア・ハリスンはアイオワの小さな町を選んだが、その劇場は500人の瞑想者で占められていた。

アイオワ州フェアフィールドで行われた、この瞑想者だけの試写会は、退役軍人、スラム街の子供達、ホームレス、囚人に超越瞑想を教えているデヴィッド・リンチ財団を支援するために行われた。

フェアフィールドは、進歩的な考えや企業化精神をもち、持続可能性(環境を破壊しない資源利用)を目指す人々が集まる中部アメリカのオアシスだ。またハイテク企業が集中しているために、「トウモロコシ地帯のシリコンバレー」とも呼ばれている。この町には2000人以上の瞑想者が住むコミュニティがあり、ビートルズに瞑想を教えたマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの大学もある。

ジョージ・ハリスンは、様々な精神的手法を探求してきたが、長年にわたって一貫して続けてきたのは、マハリシから学んだ瞑想法だった。彼は一生涯、その瞑想を続けてきた。

スコセッシ監督とハリスンとのつながりは、二人とも音楽を愛していたことと、もう一つはスコセッシ監督もまた瞑想者であることだ。

2010年にニューヨークで行われたデヴィッド・リンチ財団主催のチャリティコンサートで、スコセッシ監督は次のように述べた。「デヴィッド・リンチ財団が瞑想を通じて、子供達や退役軍人などトラウマ性ストレスを克服したいと望む人々を助けようとしていることに、支援と励ましを送りたかった。」

そして、スコセッシ監督は彼自身の人生で経験した瞑想の効果を次のように語った。「簡単に言えば、心の落ち着き、明瞭さ、バランス、気づきを得たことだろう。それは効果があるものだ。」

ビートルズと瞑想との出会い

1967年、ジョージの最初の妻であるパティ・ボイドは、ロンドンで超越瞑想を学んだ。それは、ジョージがビートルズのメンバーとツアーに出かけていて留守のときだった。「瞑想の効果の素晴らしさを知って、私は瞑想に夢中になった」と彼女は語っていた。「瞑想の効果は蓄積されていくもので、それは私の人生を変えるようなものだった。そのことをジョージに伝えたくて、待ちきれなかった。」

ビートルズファンなら、その後に何が起こったのかご存じだろう。ロンドンに戻ってきたビートルズは、パティの強い勧めで、マハリシの講義に参加した。そして瞑想を学んですぐに、彼らはインドのリシケシにあるマハリシのアカデミーへと旅だった。そこで彼らは、瞑想と講義の空き時間にたくさんの曲を作ったが、そのいくつかは彼らが作った曲の中で最も絶賛を受けている。

今なお、大半のビートルズファンは、リシケシで何が起こったのか、その本当の話を知らない。そして、ビートルズのメンバーたちが、彼らの人生と音楽に大きな影響を与えた瞑想を、その後も続けてきたことを知る人は少ない。

ジョージの超越の側面

超越とは、瞑想中に得られる体験であり、心が思考を超越して、純粋な意識を体験することだ。そうした超越の体験を表現した歌詞が、ハリスンの曲の中に現れてきた。それがはっきりとわかる曲が、「内側の光」である。

「窓から外を見なくても、あなたは天国への道を知ることができる」

それはちょうど、ジョージが若い頃に作っていた「男が女を好きになる」という曲(アイ・ニード・ユー、ユー・ライク・ミー・トゥ・マッチ)から抜け出し、彼の曲は精神性への熱望と目ざめのバラードとなった( オール・シングス・マスト・パス、レット・イット・ロール、マイ・スウィート・ロード)。

スコセッシ監督の映画は、ハリスンの内面の探求を浮き彫りにしつつ、世界的な名声と物質的な成功を得ながらも、真の人生を生きたいと願う、彼の葛藤を率直に扱っている。ハリスンが精神と物質の間にあるものをとらえていたことをスコセッシ監督は映画の中で示している。ジョージが、彼の1973年のアルバム「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」のテーマソングの中で、彼自身を描き出したように。

喧騒のまっただ中で安定性を保つためにハリスンはいつも瞑想に戻っていった

「私はまだ超越瞑想を行っている」と後年、ジョージは語っていた。「私たちビートルズがマハリシに会うことができたのは本当によいことだった。あれ以来、私の体はずっとマハリシから離れていたが、私の心は決してマハリシから離れたことはない。」

1990年代に、ジョージはオランダにある超越瞑想の国際キャンパスで、マハリシと再会した。その後すぐに、ハリスンはロンドンで超越瞑想を支援するチャリティーコンサートを行った。それが彼にとっては最後のコンサートとなった。

瞑想とのつながりは生き続けている

2009年4月、ポール・マッカートニーとリンゴ・スターは、ニューヨークのラジオシティ音楽ホールで、チャリティーコンサートを行った。それは、超越瞑想を100万人の子供達に教えるためのコンサートだ。そのコンサートで最も感動的な瞬間は、ステージの上の巨大なスクリーンに、リシケシでのジョージの写真が映し出され、ポールとリンゴがジョージに敬意を表したときだった。ポールとリンゴが一緒にコンサートを行うのは、2002年にジョージのためにコンサートを行って以来、初めてのことだった。

「超越瞑想を学校に導入しようという考えは、本当に素晴らしいと思う」とマッカートニーは言う。「デヴィッド・リンチ財団の活動を多くの人々に知らしめることで、デトロイトの学校が超越瞑想を採用し、これほど効果が現れていると話すことができる。そうすれば瞑想の効果について、あれこれ説明する必要がなくなるだろう。」

オノヨーコも、そのコンサートに出席していた。彼女は2008年3月のローリング・ストーン・マガジンで、「ジョンがもしこの会場にいたら、マハリシが世界に対して行ったことを認めて、それに感謝するだろう」と語った。

物質的な世界における精神的な町

「この町の多くの人が、ジョージ・ハリスンに親近感を感じている」と、試写会に参加したフェアフィールド市長のエド・マロウ氏(オイルブローカー)は言う。ジョージが歌で表現していたより深い生命の目的や超越の体験は、私たち瞑想者がいつも慣れ親しんでいる、現実の体験です。

会計士であるマーガレット・コステロは、すべての人が瞑想していて、有機食品を好み、持続可能性(環境を破壊しない資源利用)を目指すコミュニティーで暮らしたいと思い、フェアフィールドに移り住んだ。映画の後、涙で目を潤ませた彼女が、「十代の頃、ジョージのアルバムを買って、「マテリアル・ワールド:物質的な世界」を聴き、私は決して物質主義に打ち負かされないぞと固く決意したのを覚えている。彼の音楽には本当に心打たれた。」と語っていた。

デヴィッド・リンチ監督が初めてフェアフィールドを訪れたとき、瞑想している学生達の創造性、活気、統合性に感銘を受けた。それをきっかけにして、彼は超越瞑想を世界中の学校の子供達に教えるための財団を設立したのだ。

この町では、瞑想は現実から逃避するためのものではなく、学生の創造性と明晰さを高めて、よりよい仕事につくための方法として用いられている。そして静かなビートルが残した曲は、いまなお「静寂の時間」と呼ばれる瞑想プログラムを支援し、励まし続けている。

「すべての人が何かを探し求めているが、それをどこかに見つけ出そうとする必要はない。なぜなら、それは自分自身の内側にあるのだから。―ジョージ・ハリスン、1974年のロサンジェルスでの記者会見」

原文:Jeanne Ball “Huffington Post”

■ドキュメンタリー映画「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」予告編

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