英国のガーディアン誌の映画・テレビ・音楽を担当するライター、スチュアート・ヘリテッジ氏が、当コラムで「超越瞑想は、本当に効果があるか?」という自身の体験について書いている。

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Photograph: Suki Dhanda for the Guardian

Photograph: Suki Dhanda for the Guardian

皆さんはどうか知らないが、僕はクタクタに疲れている。クタクタの状態で目覚めて、頭の中の霧を弱々しく追い払いながら毎朝を過ごす。クタクタの状態で昼食を取り、目の前にあるすべての物に悪態をついてる。机の上で居眠りしないように努力し、ソファーによろめいて服を着たまま意識を失い、這うようにしてベッドに潜り込んで、腹立たしいほど途切れがちな睡眠をとるのだ。それが僕の生活である。もちろん、あえて声に出して、こうした生活に不平を言うつもりはない。なぜなら、他人と疲労の度合いを競い合うゲームには参加したくないからだ。僕が「4時間しか寝ていないんだ」と言うと、相手は「僕なんて3時間しか寝てないよ」と言われるだけだ。

それで、僕はうんざりして、自分を責めることになる。周りのほとんどの人と同じように、僕の生活は、テレビ、電話、電子メール、ツイッター、騒音、電子音がめまぐるしく続く、現代文化の蟻地獄にはまってしまっているのだ。テレビゲームの音響効果、催し物会場の音楽が、狂ったように脳の表面を横切っていく。そのスイッチを切るには、大変な努力がいるのだ。それに、スイッチを切ろうとしても、必ずしもうまくいくわけではない。脳がほとんど眠りに入ろうとするとき、突然、僕の心は悲鳴をあげる。「目覚ましをセットし忘れてないか?」とか、「昨日、あの女性に返事を出さなかったじゃないか。なんてまぬけなんだ」といった具合に。

そんな世界を締め出すために、僕は超越瞑想に救いを求めた。心身の安らぎを求めてリラックス法を試すのは、これが初めてではない。

一番初めに、僕は睡眠アプリを試してみた。それは、眠りに落ちるまで、両耳から音響効果の攻撃を受けるアプリだ。それは効果がなかった。なぜなら、その音は、眠っている間に「両親を食べてしまえ」と無意識に命令しているように感じたからだ。次に、浮揚タンクを試してみた。それは、1時間ほど塩水の入った小さなタンクの中に横たわるものだ。これも効果はなかった。なぜなら、熱いお湯で満たされた暗いプラスティック・タンクの中でパチャパチャやるのは、リラックスすることとは正反対だったからだ。その後で、マインドフルネスを試してみた。

マインドフルネスについては、皆さんもすでに耳にしたことがあるだろう。かつて仏教徒や修道士は、瞑想中、思考過程に集中する方法として、自分自身に対するすべてに注意を向けていた。そのスピリチュアルな面を省いた手法が、いま至る所にある。本があるし、セミナーもある。セラピストやカウンセラーが、それを処方している。驚くほど人気のあるヘッドスペースといったアプリもある。それは10分間、呼吸の練習や、体のいろいろな部分の自己診断を導いて、喜びに満ちた完全な自己実現へと至らせるアプリだ。

マインドフルネスは、鬱病、摂食障害、薬物中毒の人達を、毎日数千人も助けている。しかし、それは私には合わなかった。マインドフルネスは内省を必要とするが、内省は非常に疲れるからだ。座ったまま、すべてに注意を払わなければならない。自分がどう呼吸しているか、どんな姿勢をとっているか、何を考えているか、なぜそれについて考えているかに注意を払う。何を考えたとしても、それについて考える……それが永遠に続くのだ。医師に勧められてマインドフルネスを始めたが、山のようなホームワークに悲鳴を上げて逃げ出した人を私は何人も知っている。

その上、マインドフルネスのお陰で、僕は神経過敏になってしまったのだ。あるコースで、30分間、心に浮かぶすべての考えを書きとめる実習を行ったとき、僕は仕事について心配していると言われた。仕事のことを心配しているなんて思いもよらなかったが、それを知ったことで、僕はパニックのような死の渦巻きに陥ってしまった。後から考えると、すべての感情をみぞおちに押し込めて、それらが心臓病となり、若い年齢で悲劇の死を遂げるまで、それらを無視すべきだったのだ。これが、僕流のやり方だ。

そんな経緯で、次に超越瞑想──TMを試してみることにした。最初、僕はTMに対して非常に慎重だった。なぜなら20年前、TMの政治部門が行った政見放送を見たことがあったからだ。彼らは、大人数で瞑想することで、集合意識を高め、犯罪率を減らし、国家を統合できると話していた。当時12才だった僕にとって、それは非常に怪しげな話に聞こえたものだ。

しかし時代は変わり、超越瞑想は大規模な広報活動の見直しを行ったようだ。最近は、集合意識についてしつこく説明するよりも、現代生活に癒やしをもたらす治療法として売り出している。米国心臓協会による研究は、超越瞑想が高血圧や心臓病の危険性を減らすことを実証していた。超越瞑想が創造性や効率性を高めるという事例研究もある。さらに瞑想の過程で、深い安らぎを体験するというのだ。

TMが有益だからか、あるいは、何となくスピリチュアルの世界で流行っているように見えるからか、 膨大な数の著名人が超越瞑想を行っている。ジェリー・サインフェルド(コメディアン)、マーティン・スコセッシ(映画監督)、オプラ・ウィンフリーと彼女の会社の全社員がTMを行っている。いやはや、クリント・イーストウッドまでTMを行っているのだ。クリント・イーストウッドは、ヒッピーとは正反対の人物ではないか。彼はヒッピーを撃つ男だ。

イギリスでは、ザ・シャーラタンズのシンガー、ティム・バージェスが、TMの熱心な実践者だ。彼は2008年からTMを行っていて、「瞑想は僕の人生にとって最も重要な側面の一つだ」と僕に話していた。彼は朝と夕方に瞑想しているが、特に朝は「よいアイデアが出てくる素晴らしい時間だ」と語っている。「それは、必ずしも世界を変えるようなアイデアではないが、ささいなこと、例えば、その日に何をするとか、忘れていたことを思い出すとか、今起こっていることを考えたり計画するのによい時間なんだ。」

では、TMは著名人でなくても効果があるのだろうか? 私は念のために、2人のTM実践者を見つけ出した。彼らも、TMの効果に異議を唱えることはなかった。販売部長のジャスティナ・ソボコウィズは、2012年にTMを始めてから人生が変わったと嬉しそうに認めていた。「瞑想のために1日2回、20分の時間を費やす必要があると聞いたときには、その効果に疑いをもっていたが、実際にTMを始めたら、心が落ち着いて、ストレスが少なくなった。」と彼女は話していた。彼女は他の瞑想も試してみたが、それは効果がなかったという。「その瞑想法は、自分が浜辺にいると思い込もうとするもので、それは大変努力がいるものだった。」

もう一人、マーヴェリック・グタラが超越瞑想を始めたきっかけは、リンチ監督のツインピークスの大ファンだったからだ。彼も、他の瞑想を試したことがあったが、その後でも、バーに出かけて、何リットルもお酒を飲んでいた。しかし、2年前にTMを学んでからは、あらゆる面で健康的な生活を送るようになったという。「毎晩1本のテキーラを飲むようなことはなくなる」と彼は話していた。どうもTMを始めた人達は、他のすべての人にもTMをして欲しいと望むようだ。しかし、僕はまだTMを始めるかどうか決めかねていた。

そこで、TMのサイトを調べて、インストラクターのゲッド・バレンテを見つけ出した。彼は人当りの良いグラスゴーの学校の教師であり、数十年前から超越瞑想を教えていた。ゲッドは、TMを学ぶのは非常に簡単だと説明してくれた。また、TMは本やアプリやビデオで学ぶことはできないとも言っていた。なぜなら、TMの指導は個々人の必要性に合わせて行うので、4日間連続で、毎晩インストラクターの指導を受ける必要があるというのだ。しかし、その後は、自分一人で瞑想できるようになるし、それ以上、お金を払う必要はない。宗教やスピリチュアルなものに興味を持つ必要もない。それは僕には都合がよかった。宗教やスピリチュアルなものには全く興味がなかったからだ。

ゲッドは、TMとマインドフルネスとの違いについて説明してくれた。マインドフルネスは観察する必要があるのに対し、TMは、そのまま放って置くだけでいいというのだ。20分間、静かに座ることで、心は自然に静まり始める。そして、マントラ(誰にも話してはいけない意味をもたない音)を繰り返しているうちに、最終的には広大な静寂の点へと行き着き、体は暖かくて心地よい感覚に包まれるという。

この感覚には多くの名前が付けられているが、僕はそれを超越と呼んでいる。ゲッドはそれを「純粋意識」と呼んでいたが、その言葉は、僕には少し神秘的過ぎるからだ。

TMの指導には、説明会、個人面談、個人指導、それから3回のフォローアップのミーティングが含まれている。その後は、自分一人で瞑想を続けることができるようになる。彼の説明を聞いて、僕はTMを試してみることに決めた。

TMを学んですぐに気づいたことは、TMは僕のような「ものぐさな人間」にぴったりの瞑想法だということだ。どこでも好きな場所に座り、普段着のまま、目を閉じて、マントラを繰り返す、それだけでよいのだ。時間が過ぎるとともに、自分を意識する感覚がなくなり、呼吸がゆっくりになる。そして、マントラをとらえようとする力がゆるみ、マントラがあやふやになるにつれて、心は静まり、考えに惑わされなくなるのだ。それは、素晴らしい感覚だ。

ただ最初に瞑想した後は、意識がもうろうとするのを感じた。僕の脳は、わけのわからない騒々しいおしゃべりやレトロな効果音のない状態で、どうしたらよいかわからなかった。

しかし2~3回瞑想したら、それはよくなり始めた。そしてついには、僕の愚かな脳を簡単に静めることができるようになった。それができたときは、すべてが溶けてなくなってしまうのだ。それはちょうど、眠りに落ちる前の瞬間に似ている。これが超越かどうか確信はもてないが、そのときは確かに心が落ち着く。正直なところ、僕はただ眠りに落ちているだけかもしれないが、それでもいいのだ。瞑想中に眠ってしまっても構わないし、それもまたよい瞑想ができている印だという。

数週間あるいは数カ月、規則的にTMを実践するまでは、必ずしもTMの完全な効果が現れるわけではない。マーヴェリックは1年かかったと話していた。なので、TMが具体的な成果を出すかどうか結論づけるには、まだ早過ぎるだろう。TMが私の血圧にどう作用しているかわからないし、35才になる前に心臓発作で倒れる危険性が減ったかどうかまだわからない。完全に超越したときに体験するという、かすかに光る、すべてを包み込む無限の輝きを、私はまだはっきりとは体験していない。

しかし、たとえ超越がやってこなくても、私は瞑想を続けようと決意した。それはなぜか? 瞑想は、驚くほど贅沢な時間だからだ。何よりも、1日2回、20分もの間、周りの世界から自分を隔離することができる。そこにはテレビはなく、ニュース番組はなく、電話の呼び出し音も、電子メールも、ツイッターもない。そこにいるのは、目を閉じて、静かに座っている自分だけだ。TMは、好きなときに洞穴に逃げ込むのに最もよく似ている。それは、僕が望んでいたことだったが、決してできないことだった。なぜなら、ドミノ・ピザは、洞穴までビザを配達してくれないからだ。

TMは、他の手法よりも、僕には効果があった。あなたには効果がないかもしれないが、僕にとっては深いリラクゼーションを与えてくれるものだった。瞑想は、自分の考えを整理する機会を与えてくれるし、1日中、仕事に集中できるようにもなった。最も大きかったのは、瞑想のおかげか、または巧妙なプラシーボ効果なのかわからないが、1カ月前に比べて、ずっと疲れなくなったのだ。睡眠は深くなり、途切れなくなった。

そして何よりも、僕はまだ、僕のままである。突然、宗教に入信することもなかったし、集合意識が何なのかもわかっていない。今でも僕は目の前の物体に悪態をついている。深いリラクゼーションを楽しみながら、自分のプリンターに向かって「ばかやろう」と叫んでいるのだ。それはまるで夢のようじゃないか!