東滴壺.GIF
数年前のこのブログに書きました。
 
大徳寺塔頭龍源院の先代のご住職が、
 
日本で最小の坪庭といわれるこの場所のわきに、
 
禅語を達筆で書いてくださっていたのですが、
 
私が間違えて記憶していたことに最近気づきました(^_-)-☆。
 
正しくは、
 
  飛び込んだ  力で浮ぶ  蛙かな
 
 
 
これは禅語ですから、元はアシターンガ・ヨーガ(ヨーガの八枝)から理解するべきではないかと思うのです。
 
禅 という言葉は、サンスクリット語の「ディヤーン、あるいは、ディヤーナ」
 
中国に「チャーン」と伝わり、
 
日本で禅、あるいは禅那という言葉になったと私は理解しております。
 
このようなことを再度書くのは、本年度の「創造的知性の科学(SCI)」33課もようやく19課まで進み、ハイライトの課だったので、
この禅語について授業で触れたのです。
 
 
19課の中で、マハリシは、心の本質について解説します。
 
「心」の本質は筆舌に尽くしがたいものなのですが、ヴェーダ学では、これを解説します。
 
マハリシは、五感、理知、感情までが心であると解説しています。
 
つまり、
 
嗅覚味覚視覚、触覚、聴覚の5つと、マナスブッディアハンカーラの8つが心。
 
マハリシはそれを創造的知性の精妙な器官であるとしております。
 
そして、5つの感覚器官は、地、水、火、風、空の五大は、創造的知性の粗大な器官と解説します。
 
ほとんどの生徒さんが、被造界全体まで、心であると答えるので、
 
次々回で、このポイントを 書いてみようと思います。