「自然の支援」というマハリシ総研がよく使う言葉があります。
日本語の『天(あま)なりの道』、つまり、大自然の動きに沿った行動、お天道様という大きな働きを信じ、その自然の大いなる力に従った行動が最も正しく、無駄がなく、調和に満ちていることを日本人は皆知っているのです。
マハリシ先生は、原子の動きから、巨大な宇宙までのすべてを進化的、調和的に管理し動かしている「自然法」の偉大さを考えてみなさい、とおっしゃいます。
その流れに乗っている時とそうでない時の違いは、どなたでも感じることができると思います。
大いなる自然の流れに乗っている時には、清々しく、自信と安心感に包まれ、行動が楽で進化的です。
その反対は、不安でおどおどし、疲労と非効率さの先に自信のない自分を見つけるのではないでしょうか。
今回の感染症騒動をみていると、私は離岸流を思い出します。
海で遊んでいると突然沖に向かった強力な流れに巻き込まれてしまい、岸に戻ろうと力の限り泳いでも、潮流に抗うことはできません。
あれよあれよと沖まで運ばれ、力尽きて命を落としてしまう人があると聞きます。
また、離岸流の際(きわ)にいて、偶然 巻き込まれないで済み、しかも離岸流の存在にさえ気づかないでいる人もいるでしょう。
しかし知識がある人は、たとえ離岸流に巻き込まれたとしても、流れに対し横に泳ぎ、難を逃れます。
■政府は国民の無邪気な鏡である
私の高校生時代は、70年安保の最中で、学内外はカオスに満ちていました。
私の気が合う友人は、どちらかと言うと社会や教育の在り方に反発していた人の方が多く、私もよくデモに参加しましたが、バリケードの中に入ることはしませんでした。
良い子ぶるわけではありませんが、先生への暴力や無秩序が嫌だったのです。
一方、卒業式の日まで内申書のために優等生で通し、卒業式当日に担任の眼前でタバコをこれ見よがしに吸い始めたような人もいました。
その時の先生の呆然とした顔はいまだに忘れられません。
当時まだ米国領だった沖縄に、人生初のパスポートを取り、本島のすぐ西にある伊江島(硫黄島とそっくりな地形で、ここも激戦地となった場所です)の反戦家・阿波根昌鴻氏に話を聞きに行ったりもしました。
このような青春時代を過ごしたせいか、人や社会を表と裏からじっくり見る癖がついているのかもしれません。
二十歳で参政権を得、今年でちょうど50年です。
怒られると思いますが、国政選挙に行った数は5回に満ちません。
TM教師になり、「政府は国民の無邪気な鏡である」という原則を学び、国民全体の意識を高めることなしに国家を自然法に則した治世へと変えることはできないとの想いから、超越瞑想普及に尽くしてきたつもりです。
晩年のマハリシ先生は強く日本の独立を望んでおられました。
戦後七十七年たち、今、やっと真の日本の独立を目指し、国政のために立ち上がった、勇気ある新たな人たちが表れ始めました。
それ以前からも与野党の中でしっかり活動を続けている議員たちがいることも確かです。
今後、離岸流で流されていた政財官、および医師の中にも、沖を大きく回って向岸流にたどり着き、本来の道に戻ることができる日本人も多くなるに違いありません。
今、この瞬間が国政の転換点にできるときであると信じています。
川井悠央