米国では、ヨガに並んで超越瞑想がちょっとしたブームだ。

ライターのジョシュ・ディーン氏は、少々懐疑的ながらもその真相を知るために超越瞑想を体験してみることにした。

その結果は……。

以下は、GQ.com に掲載されたその記事の抄訳。

◆ ◆ ◆

大成功を収めて現在も活躍中の革新的な人々はそれをやっている。

働き過ぎでとんでもなく多忙な(そしてとんでもなくリッチな)ヘッジファンドのマネージャーたちもそれに信頼を置いている。

さて問題は、脚を組んで、目を閉じて、その中に加わるべきかどうかである。

ジェリー・サインフェルドと私の共通点はこうだ。

二人とも普通の大人よりもずっとスニーカーを履いていることが多い。

二人ともニューヨーク・メッツの大ファンであり、それゆえ私たちは酷く悲惨な目に遭っている。

そして二人とも、1日2回、20分間静かに座って心を落ち着けている。

サインフェルドはたぶん、私よりもずっと上手にそれをやっている。

彼は超越瞑想(TM)を40年以上続けている。

私は最近それを始めたばかりだ。

ジェリー・サインフェルド

ご存知かどうか知らないが、超越瞑想はちょっとしたブームになっている。

五千年の歴史があり、遅くとも1968年(ビートルズがインドに旅行し、瞑想を始め、恍惚としたあまり『ホワイト・アルバム』を作曲した年)以後は一般にも知られるようになったが、TMは過去半世紀の大部分は一部のヒッピーたちのものであった。

人々がTMについて何かを思い浮かべるとすれば、それは奇妙で、たぶんカルトっぽいものだろう。

しかし、TMに傾倒する中心層は理性的な人々であり、長年それを実践していて、その層は増え続けている。

そして現在ではTMはヨガと同じ道をたどっている。

 

インドから伝わったもう一つの文化であるヨガは、かつてはテンペ(インドネシアの伝統食品)の愛好者たちがやっているくだらないものとして社会から無視されていたが、やがて社会の主流に入っていき、私のような自意識過剰でリスクを避けたがる人々でさえも安心して試すことができるようになっている。

「携帯電話にどのように充電器が付いているのはご存知でしょう?」と、サインフェルドは昨年「グッドモーニング・アメリカ」に出演した際に言った。「TMも、私たちの心と体のための充電器が付いているようなものです」

 

TMは冷静さを保つために役立つと話すラッセル・ブランドは、TMを「脳が浴びるシャワー」と呼んでいる。

グレイの前髪を高くしたヘアスタイルの映画監督デヴィッド・リンチ──彼の名前を冠した財団はアメリカにおけるTMの最近のブームの推進力となり、オプラからルパート・マードックに至るまで多くのセレブをTMに転向させた──は、1日2回の瞑想のおかげで内側深くにある無限のエネルギー、創造性、幸福の宝庫を努力せずに利用できるようになった、と語っている。

 

だが、私がTM愛好者たちの一覧を見たときに目に飛び込んできた名前は、レイ・ダリオだった。

彼は世界最大のヘッジファンドであるブリッジウォーターの創立者であり会長だ。

ダリオは金融界のスーパーヒーローなのだ。

そして、この六十三歳の人物が40年前の大学時代に始めたTMについて語る内容には曖昧さがない。

「私がこれまで成し遂げたどのような成功も、その最大にして唯一の原因は瞑想であると思っています」。

これはアメリカで三十三番目にリッチな人物が語る言葉なのだ。

レイ・ダリオ

四十年近くの人生で、私は瞑想のことなどほんの少しも考えたことがなかった。

私はとても自由主義で、かなり偏見の少ない(と自分では思っている)人間だが、瞑想なんてあまりにも愚かなヒッピーどものやることで、苦心してじっと座っている奴を見ると、まるで一種の拷問のようだと、いつも思っていたのだ。

しかし、一覧に載っているのは変人たちの名前ではなかった(ラッセル・ブランドはおいといて)。

そして、レイ・ダリオは、一時の流行のために40年間、毎日40分の時間を浪費するような人だとは到底思えない。

 

私はTMについて確かめてみることにした

「あなたが懐疑的であるのであれば、それは素晴らしいことです! そうあるべきなのです。私も懐疑的でした」。

これは、デヴィッド・リンチ財団の事務局長であり、私にTMを指導した教師であるボブ・ロスの言葉だ。

彼は長身でスマートで漆黒の髪をもつ男性であり、4月だというのにもう健康的に日焼けしている。

彼の口ひげはジョージ・プリムトンにちょっと似ているが、歯はもっとキラキラしている。

 

ロスはTMを44年間実践し、41年間それを教えている。

彼は親しい友人に勧められてそれを始めたのだが、TMにはヒッピーの薄汚さのイメージがあったため、最初は尻込みしていたという。

「私が担当の教師にした質問は、効果を得るためにはこんなタワゴトをどのくらい信じなければいけないのか、というものでした。教師は、100%疑っていてもいいのです。

それでも効果に変わりはありません、と答えました」。

ロスは惜しげもなく笑顔を見せていたが、さらにとびきりの笑顔を私に向けて言った。

「この瞑想の素敵なところは、何かを信じる必要はないという点です。どんな哲学も必要ないのです」

他の形式の瞑想法では、はるかに多くの専心が要求され、習得するのはもっと難しいかもしれない。

それらの瞑想法では、極度な集中(一つの特定のこと、そしてそのことのみに強く心を集中させる)または黙想(今の状態についてできるかぎり考え抜く。

この方法はマインドフルネスと呼ばれることが多い)を教えるが、TMはそのどちらもする必要がないので、より学びやすいものになっている。

 

TMは簡単にできる

ロスが好んで使う言葉を借りれば、「努力が要らない」のだ。

ただ20分間の静かな時間をとって、マントラを使って自分の心を意識的な考えから解放し、瞑想の引き金を引けばいいのだ。

理論に従えば、マントラに効力があるのは、それが本質的に意味を持たない音のみの言葉だからだ。

担当の教師は、TMの起源である古代ヴェーダにまで遡る、多数のマントラのライブラリの中から、個人に適した一つのマントラを選ぶ。

いったんマントラが与えられたら、それはいかなる事情があろうと決して他人に教えてはならない。

 

ロスは、あるヘッジファンドで話をするためにマンハッタンのミッドタウンに渡る予定があった。

そこの創立者からTMの概念について従業員に紹介してほしいと依頼があったからだが、私は同行を願い出た。

ニゴール・クーラジアン氏(46)は、8億5000万ドルのヘッジファンド、クエスト・パートナーズの創立者だ。

彼は、まさに私が会いたがっていた種類の人、すなわち、標準からの逸脱はあまり奨励されないきわめて保守的なビジネスにおいて成功を収めた起業家である。

 

では、なぜ彼は瞑想をするのだろうか?

クーラジアン氏はジムでトレーニングをし、ヨガもやっているが、TMが彼の健康管理の最も重要な部分だと後で私に話してくれた。

「私は何があってもTMは毎日やっています。やりたくない気分のときもありますが、やらなかったら、その日の私の活動はどこかの部分で質を落とすことになります」

金融のビジネスに携わった20年間で、ほとんどの人々は自主的に考えたり、自らの直感に従ったりすることを怖がっているのが分かってきた、と彼は語った。

そのかわりに人々は外部の影響に基づいて決断することが多くなりすぎている。

「そうしているうちに自分自身の感覚や信念がなくなっていくのです。」と彼は言った。

「TMのおかげで私は自分の内なる真の感情が何を求めているのか感じ取れるようになりました。… TMをやっていなかったら多くの人々とまったく同じことをしていたでしょう。」

以前は古いクローゼットとして使われていたのかもしれない殺風景なオフィスで、私は、唯一の家具である張りぐるみラウンジチェアに座ってTMを習った。

TMのレッスンはもっと良い匂いの漂う、もっと子宮のような場所、つまり、安らいだ内向きの思考を促すような場所で行われると、私は想像していた。

しかし、TMの主要な売りの一つは、学びやすく、実践しやすいことだ。

ロスが言うには、いったんTMを学べば、タクシーの中でもそれをすることができる(実際彼はそうしている)。

最初のレッスンを始める前に執り行われる、やや感傷的な感じがするセレモニーを除けば(セレモニーには線香とサンスクリット語とリンゴが使われるが、ロスが恥ずかしそうにそのことを詫び、それは過去の教師たちを讃えるための古代の伝統なのだと説明した)、そこで起こったことは、約束どおりに、シンプルであり、馬鹿げた要素はなかった。

 

マントラを使う方法は複雑ではないが、その不思議な音と同様、それを他言してはいけないことになっている。

TMを習う者は、実は、教師と生徒との間で行われたことの守秘義務について記された書類にサインする。

言い換えれば、私はレッスンで教えられた内容について正確に語ることはできない。

レッスンはTMの終身会員権の一部であり、それに要する費用は勤労社会人であれば1000ドル~1500ドルだ。

このように言うと、かなりうさんくさく聞こえるが、実際にはそうではない。

そのようにするのは、ショッピングセンターの売店でペテン師やヤマ師がまともでないTMのレッスンを売り込むのを防ぐための措置であり、そして生徒がTMを正確に学べるようにするための措置なのだ。

TMはそれほど複雑なものではないが、形の上では独習も可能であるという点で、ヨガと非常に類似している。

しかし、独習したとしても結局は間違ったやり方をしてしまい、そのために苦しむことになるだろう。

したがって、適切な指導が決定的に重要なのだ。

 

「TMをするとき、私たちは、心の注意を外側ではなく内側の方向に向ける方法を学びます。」とロスは言った。

「それは子供に潜水の方法を教えるのに似ています。

正しい角度をとって飛び込めば、後は自動的です。

『止まらないようにしなさい』と言う必要はありません。重力に任せておけばよいのですから。」

TMが主流になるのに成功した瞑想法の一つだとすれば、その成功の理由は、効果があるように見えるからだ。

そして科学がその効果を裏づけている。

これまでにTMの恩恵を調査する340件以上の研究が行われており、そして、それらの恩恵を最も必要とする人々、すなわち受刑者、虐待の被害者、退役軍人、恵まれない子供たちにその恩恵を提供することが、デヴィッド・リンチ財団の主要目的の一つになっている。

 

TMの実践がもたらす最も明白な結果はストレスの軽減である

TMがただ眼を閉じて静かに座っているだけのものだとしても、それによって人生におけるストレスは軽減し、消防ホースからの猛烈な放水のように毎秒ごとに叩きつけられるデータや刺激から強制的な休息をとることにはなるだろう。

だが、TMの効果はそれよりはるかに強力であるようだ。

一部の心理学者はストレスを「21世紀の黒死病」と呼ぶようになっている。

はっきりした治療法のない、手に負えない症状だからだ。

ストレスは炎症を引き起こし、免疫系を弱め、心臓病から鬱病に至るまで、あらゆる深刻な病気の危険因子になる。

TMにはストレスを軽減したり血圧を下げたりする効果があることは多くの研究で実証されている。

また、鬱病を緩和し、暴力的な衝動を抑え、ADDやADHDの症状を緩和させることもわかっている。

TMの信奉者であるメハメッド・オズ医師が指摘するように、TMは一部の患者の皮膚病を軽減させる効果さえも示している。

ストレスは前頭前野にも影響を及ぼす。

前頭前野は脳の高次機能の領域であり、実行機能とも呼ばれる働きの源になっている。

つまり、この領域には判断や問題解決の働きがある。

ストレスを受けると私たちの判断力は鈍くなるが、ビジネスを行う上でストレスにさらされるのは当然のことだ。

TMの威力は、ヘッジファンド界の王者であるレイ・ダリオが「落ち着いた、頭の冴えた状態」と呼んでいるものを維持できるように脳を訓練する点にあるように思う。

TMを習得すると「ニンジャのような」気分になり、問題が起こってもそれはスローモーションでやってくる、と彼は語っている。

 

TMは私たちの誰もが持っている内なる静けさを利用する、とボブ・ロスは確信している。

その静けさによって脳が落ち着き、くたくたに疲れた脳細胞は修復のチャンスを与えられる。

私が最初に受けた講義で、彼は、瞑想を始めたばかりの頃は完全な超越の状態を得ることは期待できないとすぐに指摘した。

気を散らす想念が生じることが予想されるが、それらの想念を追い払おうとする必要はない。

それらの想念は脳がストレスを発散している兆候なのであり、それはまさに瞑想のプロセスの一部なのだと、彼は説明した。

 

「仮説はあります。皆さんはそれを信じる必要がないと言うのが私は大好きなのですが、その仮説とは、すべての人間は心の内側深くにすでに静寂のレベルを持っている、というものです。」とロスは語った。

「それは昨日もそこにあったし、今もそこにあるし、明日もそこにあるでしょう。

すべての人──都心の学校に通う子供も、ヘッジファンドで働く懐疑論者も──誰もがそれを持っています。ただ私たちはそこに行く方法を失っているだけなのです。」

 

瞑想を始めたのだと誰かに言うと、必ず返ってくる質問は、「それって効果あるの?」である

とりわけ私の妻はこの質問を私に投げかけるのが好きなのだが、私の答えはいつも、「はっきりしないなあ」か「わからないよ」のどちらかだ。

正直言って、これは答えるのがとても難しい質問である。

(瞑想してくるよと私が言うたびに、妻は、──今でも!──私を笑うのだ。)

 

最初のセッションの2カ月後、フォローアップを受けに来たときに私がした質問は、私の瞑想の質についてだった。

私の心はとても安らかになるときもあれば、考えで頭がいっぱいになるときもある。

特に、「あと時間はどれくらい残っているのだろう」といったような、煩わしい想念だ。

──時間はあっという間に過ぎる。

TMは自分の潜在意識を通過するツアーのようなものかもしれない。

そして20分のうちに、自分の精神をかき回す様々な事をぶらぶらと歩き過ぎながら、長い距離を行くことができる。

あるいはTMは薬物によるトリップのようでもあり、私は時々、数分間明晰夢を見ていたのに気づいて吃驚することがある。

 

また別のときには、私は大変四苦八苦する。

そういうときは時間はのろのろと進む。

私はレイ・ダリオの体験を知って、いくらか安心した。

彼は、瞑想の壁を乗り越えるまでに「しばらくの間、たぶん何カ月か」を要したと言っている。その間は、いわば意識的な想念とマントラとの間のテニスの試合のようであり、その期間を過ぎてようやく「私の心から想念がなくなり、超越するようになった」という。

想念を叩き出すための棍棒としてマントラを使わないように、ロスから繰り返し言われていたにもかかわらず、時々私はまさにそれをしていたことを認めた。

さらに悪いことに、それをしている自分をすぐに監視してしまい、そしてまたすぐに、ずっと自分は間違ったやり方をしていたのだと考え始めてしまうのだ。

 

ロブは無表情で私を見つめた。「TMを楽しんでいますか? 終わった後、たいていは良い気分になりますか?」

ほとんどいつも、私はそうだと答える。

「では、心配することはありません。これはシンプルであるべきです。これは1日2回、20分ずつ、まったく間違いなしにやらなければ効果が出ない、というようなものではありません」。

ロスは、優秀な教師がそうであるように、穏やかで、安心を与え、生徒が物事を深刻に考えすぎないようにしてくれる。

ゴルフに関する古い格言がある。

「たった一打のナイスショットさえあれば、それ以外は惨憺たるラウンドであっても、またコースに戻ってくる」。

それと同様に、瞑想が最も上手くいったとき、安らぎを感じ、時間はあっというまに過ぎる、それがあるから続けたいと思うのだ。

特別に目に見える効果を上げているような人々ほど、特別に安らいで集中力のある心を持っているようだ。

私は進行中の仕事により十分に集中でき、周囲の気を散らす雑音のボリュームをうまく調節できるようになっている自分に気づいている。

今はまだ私は、レイ・ダリオやデヴィッド・リンチのようなニンジャの域には達していないし、いつかはその域に達することには懐疑的にならざるをえない。

しかし、だからといって、私が毎日目を閉じて「カチョン!」に似た(でもそんなに似ていない)音を心で唱えることの妨げにはならないのである。

Source:The Totally Stressed-Out Man’s Guide to Meditation by JOSH DEAN, GQ Magazine

※一部、川井が文字の強調をしている部分があります。