超越瞑想のサイトでは、超越の体験から得られるさまざまな恩恵について、多くの事例を上げて紹介しています。
これら幅広い事例は、超越するというたった一つのテクニックが、人生のすべての領域に効果をもたらすことを示唆しています。
では、どうしてそれが可能なのでしょうか?
他の瞑想法やリラクセーションのテクニックでは、これほどの効果は見られませんから、超越の体験には、ただのリラクセーションよりも、もっと深い何かがあるに違いありません。
そこで、このページでは「超越」についてさらに詳しく見ていきます。
超越が幅広い効果をもたらすことは、一つの例で理解することができます。
それは木の根に水を与えることで、木全体を生き生きとさせる、というものです。
木には無数の葉や、無数の枝、無数の花といった膨大な数の多様性がありますが、それらを個々別々に扱うのではなく、根というたった一つを扱うことで木全体を扱うのです。
超越という生命の根を扱うからこそ、人生のさまざまな領域を改善することができるのです。
超越するとは、自分は本当は誰なのかを知ることです。
超越とは真の自分を体験することです。
人類最古の文献、ヴェーダ文献には、「私の意識、私の自己は、宇宙の遥か遠くまで浸透し、反響している」と表現されています。
ここで言う「私の自己」とは、超越意識のことです。
つまり、広大な宇宙には、私の自己、超越意識が広がっていることが表現されているのです。
超越意識はちょうど、波のない静かな海のようなものです。
波という活動が全くなくなると、そこには海という単一のものだけが残ります。
そして、その静かな海から、たくさんの波が生じます。
この個別の波が私たちの個別の意識です。
そして個別の波が、波のない静かな海の状態までに完全に静まった時、小さな波は海と一つになります。
この例えでは、波は個別の意識であり、海は普遍的な意識、つまり超越意識です。
瞑想中、活動的な心は努力なく落ち着いていき、やがて波のない静かな意識になります。
これが超越です。超越の体験とは、意識の活動のない状態であり、それは普遍的な意識です。
そして、それはまた本当の自分、自分自身になる体験です。
つまり、本当の自分とは、個別の意識のことではなく、普遍的な意識のことを言います。
さて、物質科学である物理学もまた、物質粒子やエネルギーのすべては、単一の場が励起した波であると言われています。
そして、この単一の究極的なレベルにある場(波のない静かな海の状態)は、統一場と呼ばれます。
統一場は、あらゆる物質とエネルギーの源であり、拡大し続ける宇宙全体は統一場から創造され続けています。
統一場は、無数の多様性を創造しているわけですから、そこには、計り知れない、莫大なエネルギーや無限の知性が貯蔵されていることがわかります。
統一場はまた、創造に直接関与することなく静寂のままに留まっています。
ちょうど化学反応に関わることなく化学反応を促進する触媒のようにです。
この統一場が、実に心の落ち着いた状態、全く活動のない超越意識です。
超越意識に触れることは、宇宙創造の源に触れることであり、それによって心は活力に満たされ、創造的になることができます。
こうした考えから言えることは、人間の潜在力は、まさに宇宙的であるのです。
超越するというテクニックを使うことで、それを体験すれば、小さな個別の意識が普遍的な意識によって支えられるようになります。
支えられるとはつまり、統一場に蓄積された無限のエネルギー、無限の幸福、無限の知性が私たちの人生のなかで生き生きとするようになる、ということです。
これが生命の根である超越が広範囲な恩恵を生み出す秘密です。
個別の意識は海の波のようであり、どの波も同じ海の一部分であるという例えは、本質的に、私たちは他の人たちと繋がっているということを意味しています。
私たちがそのような結びつきを体験するときの感情が愛に他なりません。
愛とは、私たちが他の人たちと繋がっていると感じる感情と言えます。
しかし、心の潜在力のごく一部しか活用していないと、この愛の体験は限られたものになります。
現代心理学で「顕在意識」と呼ばれている部分は、海の波の一番上の部分にあたります。
そして、その根底にある潜在意識の最も深い部分では、波と海は一つであり、そのレベルで私たちはすべて繋がっています。
カール・ユングはそれを「集合的無意識」と呼びました。
全てのものが、そのレベルにあるのですが、私たちはそれを意識的に体験することができませんでした。
どうして私たちは、心の潜在力のほんの一部分しか活用していないのでしょうか?
なぜなら、それをもっと活用できるようにする教育を受けていないからです。
では、どうして私たちは自分の心の深いレベルを体験できないのでしょうか?
それは、私たちの心と脳を訓練してそれを体験できるようにする教育が欠けていたからです。
私たちの注意が外側の何か特定の点に向けられているときには、波のいちばん上の部分だけが活性化しています。
私たちがいつも外側だけに注意を向けて生活していると、心の表面レベルだけが発達して、他の全ての潜在力は隠れたままなのです。
では、TMを行うときには何が起きるのでしょうか?
心は自然に想念の微かなレベルを体験し始めます。
想念が微かになるということは、それを体験している心の活動がより微かになる、ということです。
それは高まっていた波が静まっていくようなものです。
そして、最終的に、私たちは想念の最も微かな状態を超越して、純粋な「私自身」の状態に達します。
波は完全に静まって海と一体となり、私たちは意識の海そのものになります。
波という枠がない、自分自身の限りない真の自分を体験するのです。
それから心は再び活動的になり、波だっていきますが、私たちの真の自分の性質が心のなかにいくらか残ります。
このような体験を規則的に繰り返すことで、心の全潜在力を扱えるようになっていくのです。
この例えを通して、どうして努力の要らない自然な方法で超越の体験が得られるのかがわかります。
もし、瞑想中に努力をすると、心は活動し続けることになり、高まった波が静まることがありません。
努力しないときに始めて、波は自然に静まっていき、ついには海と一体になるのです。
TMが完全に自然で努力が要らないのは、それがその効果を生み出すための本質であるからです。
瞑想する度に超越の質がますます強く残るようになり、日々の行動のなかにますます現れてきます。
その結果、人生のあらゆる領域が改善されていきます。
これが通常のリラクセーションと本当の超越との違いです。
TMテクニックに関する全ての研究は、実際に、私たち自身に備わる力がどのようなものかを明らかにしていると言えるでしょう。
1. 体の自己治癒力がいかに優れているか。
2. 私たちの真の本質はどんなものか。
統一すること──生命に内在する創造性、知性、自己意識
生命の根であり、意識の場である海の性質は、さまざまな仕方で説明できますが、しかし、究極的には統一という性質に行き着きます。
物理学が示している宇宙の最新像は、それは私たちが思い描く物質的ものではなく、量子力学的な波動であると言われています。
すべての形は、実際のところさまざな波が形を取って現れているように見えているだけなのです。
そして、その波動は、究極的には、統一場というたった一つの場の振動であることが示唆されています。
統一場は、波のない静かな海の状態であり、海が振動することで、さまざまな波を生み出しているのに似ています。
統一場が振動することで、それがエネルギーや物質となり、宇宙全体の構造が構築されています。
統一場は、あたかも芸術作品を創る彫刻家のように、それ自身に内在する無限の知性、無限の創造性、無限のエネルギーを使って脈動する宇宙を創造しているのです。
人間はそうした創造物のなかの小さな存在なのですが、人間の神経系には特筆すべき素晴らしい能力が秘められています。
それは、こうした無限の創造性の源を、自身の意識として体験することができる能力です。
超越するというテクニックを通して、個別の意識は真の自己に触れることで、宇宙創造に見られる知性、創造性、エネルギーを人生で活用することができるのです。
TMを実践する人たちは、ますます生き生きとして健康になり、真の自分に気づくようになります。
そして、ますます知的で創造的になります。
統一すること──調和、平和、幸福
さて、どんな性質にも、それに対立する価値があります。
温かいと冷たい、明るいと暗い、好きと嫌い、肯定と否定、良いと悪いなどです。
しかし、超越のレベルでは、こうした対立する価値は消えてなくなり、ただ一つの性質だけが残ります。
それは統一するという性質です。
統一とは、相反するものを調和させる能力です。
自然界には多種多様な生命がありますが、これらすべてが一つに調和してうまく共存しているのも、生命の本質には統一するという性質があるからです。
この統一という性質が、私たちの生命のなかで生き生きとする時、人生のどのような対立も消えてなくなっていきます。
世界中の人々の心がこの統一に満たされれば、紛争やテロも自然になくなり、平和だけが残ることになります。
TMを行う人たちが最初に体験するのは、内面のより深い平和と幸福の状態です(科学的測定によって、TM中、脳内に幸福ホルモンであるセロトニンが増加することが確認されています)。
TMを長く続けると、この内面の平和と幸福の状態が、私たちの人格にも現れ、瞑想後にもそれが続くようになります。
「暗闇と戦ってはいけません。ただ、明かりをつけてください」──マハリシ
統一の性質が高まると、どのような否定性も消えていきます。
心と体のレベルに蓄積されていた緊張やストレスが消え、否定的な考えも、うつも、恐怖も消えていきます。
それは、明かりをつけると暗闇が消えていくようなものです。
これまでの人生は、暗闇という問題と格闘してきたと言えるでしょう。
しかし、いったん明かりを灯せば、すべての問題を解決することができます。
それは、とてもシンプルなことです。
統一すること──愛
統一するという性質は、他の誰かと繋がっているという感覚をもたらします。
それが愛です。
普段の生活では、愛は、夫婦や家族、友人など限られた人にしか感じられません。
しかし、心の源では、みんなが一つに繋がっているのです。
私たちは時々こうした体験をします。
例えば、世界のどこかで自然災害が起きたときには、義援金を送ったりします。
一度も会ったことのない、まったく知らない人に対しても、どこかで繋がっている気がして、助けてあげたいと思います。
なぜなら、私たちは実際に繋がっているからです。
TMを規則的に行っている人たちは、こうした感情が増していき、人間関係においても、ますます愛情深くなります。
他の人にもっと優しく接するようになり、自然との繋がりも強く感じるようになります。
統一すること──直感
私たちは普通、自分の身近に起こっていることしか気づいていません。
私たちが知っていることは、五感で知覚したり、考えたり、理解したりするものに限られています。
しかし、心の源では、あらゆるものが結びついているため、あらゆるものについての情報をそこから得ることができるはずです。
例えば、直感がそうです。
多くの情報を集めて準備万端で行動していても、あるときは、直感で行動した方がより正確で、より早く目的を達成することができます。
芸術家やアスリートには、こうした直感の優れた人たちがいますが、それは表面的な知覚のレベルのみに依存するのではなく、心のより深いレベルにある生命の息吹きを捉えているのです。
TMを行っている人たちは、この直感力が強くなってくるのを体験しています。
正しいときに正しい考えが自然に浮かんでくるようになります。
それは、あたかも宇宙的なコンピューターが、必要な情報を瞬時に計算して、すべての生命にとって最も効果的な影響をもたらすような考えです。
このような正しい考えが自発的に浮かんでくるという良い例は、アメリカの「啓発の時代のマハリシ・スクール」の生徒たちが示しています。
マハリシ・スクールはアイオワ州の小さな学校ですが、小学校から高校まで全ての子供たちが超越瞑想を行っています。
この学校の生徒たちは、「デスティネーション・イマジネーション」と呼ばれる創造的問題解決の競技会(毎年、世界中の最も創造的な子供たち10万人が参加する競技会)で、すでに4度も世界チャンピオンの座を獲得しました。
世界中の学校のなかで、世界チャンピオンの座を2度以上獲得した学校はマハリシ・スクール以外にありません。
その理由は、マハリシ・スクールの子供たちは、正しいときに正しい創造的な解決策を見つけだすことができるからです。
こうした並外れた実績を知って、イギリス、ブラジル、インドなどの政府が学校教育にTMを取り入れ始めています。
統一すること──幸運:自然からの支援
ものごとを肯定的に考えたり、肯定的な結果をイメージするように勧める本がよくあります。
その理論によると、何か肯定的なことに注意を向けると、環境も肯定的になり、私たちを支えてくれるようになると言うものです。
しかし、それはあまり実用的とは言えません。
なぜなら、心の表面レベルでいくら考えても、心の全潜在力を活用した優れた効果を得ることができないからです。
これまで見てきたように、私たちの心には、宇宙を構築するだけの無限の組織力が備わっています。
この心の全潜在力のレベルから考えることができれば、その考えは宇宙的な組織力に支えられ、すぐさま実現することが可能でしょう。
そのような体験は、自然からの支援と呼ばれます。
自然からの支援とは、例えば、電話をかけたいと思っていた人から電話がかかってきたり、電車を乗り過ごしたと思っていたところに、旧知の友人と久しぶりに会うことができた、といった幸運に恵まれることです。
それは私たちの願いを実現するように、自然の無限の組織力が働きだしている、という印です。
超越するという価値が日常の考えや行動のレベルで生き生きとするようになると、あたかも幸運に恵まれるようになります。
TMを行っている人たちが、私生活でも仕事上でも、ますます成功を収めるようになるのは、このような理由によります。
統一すること──総合的な脳機能
ここまで統一するという性質が人生に現れてくる、ということを見てきました。
こうした概念は、まだ瞑想を学んでいないうちは、ちょっと抽象的で毎日の実際的な生活からかけ離れているように聞こえるかも知れません。
しかし、現代の技術を使って脳波の同調を測定することで、脳の各部分が互いに結びついて一つの統一された全体として機能し始める様子を見ることができます。
脳波の同調は、ADHD・衝動的行動・神経症・不安定な感情などの減少、倫理的な行動(より大きな愛)・知性・創造性などの増大と関連しています。
また、学習能力の向上・より速い反射能力・学業成績の向上などとも関連しています。
脳が一つの統一された全体として機能し始めるときには、人生のあらゆる領域が改善します。
そして、これまでの調査によると、超越することがこのような統一された機能を創り出すための最も強力な方法なのです。
脳波の同調は、ADHD・衝動的行動・神経症・不安定な感情などの減少、倫理的な行動(より大きな愛)・知性・創造性などの増大と関連しています。
また、学習能力の向上・より速い反射能力・学業成績の向上などとも関連しています。
脳が一つの統一された全体として機能し始めるときには、人生のあらゆる領域が改善します。
そして、これまでの調査によると、超越することがこのような統一された機能を創り出すための最も強力な方法なのです。
統一すること──無敵性
超越することは、全ての生命の源に触れることですから、人生の全ての領域に同時に影響を及ぼします。
このことは、TMに関する600以上の研究と350以上の出版物によって確認することができます。
しかし、これら全ての改善は、私たちの意識の内側で成長する全く新しい状態の副産物に過ぎません。
超越瞑想の創始者、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーはこの新しい状態を「無敵性」と呼んでいます。
無敵性は、生命のなかに統一が生き生きとした状態です。
統一が私たちの意識のなかに生き生きとすると、私たちの内面の平和や幸福は、より確固としたものになり、何者もそれを乱すことができなくなります。
状況がどのようなものであっても自分自身を失うことなく、統一の性質を発揮して、どんな問題でも解決策を見つけ出します。
私たちは何ものによっても失われない普遍的な愛を生きます。
こうした無敵性は、誰もが生まれながらに持っている能力です。
そして、これこそが生命を生きる価値です。
私たちはただ自分自身の源に戻っていき、それに触れることで、真の生命の価値、無敵性を楽しむことができます。
「自分自身の全潜在力を活用しなければ、人は生命の目的を成就することができません。
さまざまなことで悩むのは、自分の内側に所有している大きなエネルギーを十分に活用していないからです。
生まれつきもっている豊かな絶対的至福、内側にある創造性や力の絶対領域を体験して、それを自分の人生のなかで現すことをしていないからです。
このような人は、ちょうど自分に財産と地位があることを忘れてしまって、通りで物ごいをして歩いている億万長者のようなものです。
すべての苦しみは、自分自身の内側にある神聖な栄光を外に表現する方法を知らないために生じているのです。」──マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー