ビートルズが瞑想を始め60年。5000年を超える伝統を持つこの瞑想法は、不協和音で満ちた脳がまるで大交響楽を奏で始めるように整い、創造性、愛にあふれ、健康が増します。一度習えば一生使えるこの瞑想は現代に正しい方法で復活した科学的で信頼のおける瞑想法です。

瞑想とヨガ

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ヨガの教師ジェニー&アイアン・オーラフリン夫妻は、ミシガン州デトロイトにある二つのヨガ・スタジオのオーナーだ。彼らは超越瞑想による超越の体験がヨガの体験を力強く補佐することに気づいた。以下は、彼らのインタビューである。

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──近年、ヨガに対する興味が爆発的に高まって、アメリカでは1千万人以上の人々がヨガを行っています。なぜいまヨガが流行っているのでしょうか?

ジェニー:私たちの住む社会は、過剰なストレスにさらされています。ヨガを行うことで、バランスのとれた状態を取り戻すことができます。ヨガ・アーサナは、体のすべてのシステムにバランスをもたらす一つの方法です。関節にもよく、心臓血管系、免疫系、内分泌系の機能を高めます。

10年前、デトロイトで「私はヨガの教師です」と話すと、みんなから「ヨーグルトですか? あなたはヨーグルトを食べるのかと思いました。」と言われました。今ではヨガの効果は広く知られるようになり、認められています。人々は、非常にシンプルなヨガの実践が、自分の生活に肯定的な変化を生み出すことに気づいたのです。

アイアン:ヨガの価値に気づいた人々は、自分の健康を管理する能力が得られたように感じます。ヨガを行うと、とても気分がよくなるからです。ヨガは、自分一人でできる、元気を取り戻すための実践なのです。

──あなたは、どうしてヨガを始めたのですか? なぜヨガに夢中になったのですか?

ジェニー:1990年代の初め、まだ高校生だった頃にヨガを始めました。16才か17才のときに、アイアンガーのヨガ教室を見つけたんです。私は健康には問題ありませんでしたが、内気で神経質な性格でした。それが、ヨガを行うことで、自分に自信がもてるようになったのです。そして、大学を卒業して約1年後に、ビクラム・ヨガを始めて、教師になる訓練を受けました。それから自分の教室を開いて、ヨガを教え始めたのです。

アイアン:私の家族は建築業を行っています。私は建物を建てることが好きで、その仕事を10年間行っていました。しかし、建物を建てること自体は楽しかったのですが、ビジネスと関連したストレスから、頭痛や背中の痛みが起こったのです。それで、ヨガを試そうという気になりました。

──自分のヨガ・スタジオをもつことになった動機は?

アイアン:一つは生計を立てるためであり、同時にヨガを教えることが楽しかったからです。ヨガを教えることで、地域の人々の健康や活力を高めることができますし、私は生徒たちや地域社会とつながっている仕事が好きなんです。

ジェニー:それは充実した仕事です。規則的にヨガを行うことで、その人の中に深遠な変化が起こります。ヨガの実践を通して、生徒たちが強くなったり、驚くような変化が起こるのを目の当たりにするのは、とても大きな喜びです。

──お二人は、いつ超越瞑想を学んだのですか?

アイアン:私は、1994年の大学時代に超越瞑想を学びました。大学は非常にプレッシャーの多い場所でしたが、瞑想することで勉強に集中できるようになりました。勉強が大好きになり、健康も劇的に改善しました。

ジャニー:私は2007年に超越瞑想を学びました。ヨガを始めてからずっと、瞑想したいと思っていたんです。自分の実習には何かが欠けていると常に感じていました。それで、様々な瞑想法を試してみたのですが、じっとしていることができず、常に時計を見てそわそわしていました。瞑想がうまくいかないので、いつも挫折感を感じていました。

アイアンと出会ったとき、彼から「超越瞑想は簡単だよ」と聞いたのですが、彼の話を信じることができませんでした。そんなある日、超越瞑想の教師と出会ったんです。彼女と一緒にいるだけでとても気分が落ち着きました。それで、超越瞑想は、同じような落ち着いた体験を与えてくれるかもしれないと感じたんです。

超越瞑想を学んだとき、私はすっかり夢中になりました。以前の私は「探求者」だったように感じます。それが、突然「認知する者」になったのです。超越する体験を、非常にありがたく感じました。より深い意識の体験を、とても長い間、探し求めてきたからです。

──今では、ヨガという言葉には多くの意味が含まれていますが、ヨガはあなたに何を与えてくれましたか?

ジャニー:多くの人は、ヨガを特定の姿勢をとる実践ととらえています。それに対して、超越瞑想は、意識の一つの状態である「ヨーガの体験」を直接与えてくれます。ヨーガの体験とは内なる生命の統一の体験であり、そうした体験は、超越することで簡単に得ることができます。

ヨガを行っている人の多くは、サマーディ(三昧、つまり超越)に達することは難しいと考えています。ですが、超越瞑想は、始めてすぐに私たちを超越意識へと連れていってくれます。

──ヨガの実践と、サマーディの体験は、どのようなつながりがありますか?

アイアン:ヨガの古典的な文献は、「パタンジャリのヨーガ・スートラ」を呼ばれています。ヨーガ・スートラは、ヨーガの八つの手足について説明しています。ヨーガの八つの手足には、個人の美徳の発達、アーサナの実践(ヨガの姿勢)、プラーナヤーマ(呼吸法)、瞑想の実践、超越する体験(サマーディの状態、超越意識)が含まれます。

マハリシは、バガヴァッド・ギーターの注釈の中で、サマーディ(超越)に達することは、八つの手足の中で最も簡単であると指摘しています。超越瞑想は、心がサマーディを直接体験するためのテクニックです。サマーディを体験することで、他のヨーガの手足も、私たちの生活の中で努力なく成長していきます。

 

──肉体的なヨガの実践に、超越瞑想を加えることには、どのような価値がありますか?

ジャニー:私にとって、ヨガの実践に超越瞑想を加えたことは、神からの贈り物のようでした。超越瞑想を学んだとき、自分自身に立ち返るような深遠な感覚がありました。深い静寂や、周りのすべてのものとつながっているという感覚です。そして、ヨガの実践は、そうした体験を得るための準備であり、そうした体験を求める欲求を刺激してくれたと思います。

多くの人々が、超越瞑想を学んだ後に、より深くヨガの実践に入っていけるようになったと話しています。以前はできなかった姿勢ができるようになったという人もいます。体がもっと軟らかくなり、ヨガの実践がより深く、より順調になったと、すべての人が話しています。

アイアン:私が感じていることは、ヨガの実践者は、もっと何かを求めているということです。彼らが超越瞑想を学ぶとき、その空虚さが満たされます。内深くで、彼らが探し求めてきたものを得ることができます。生徒たちは、もっとすっきりしたくてヨガを行っていますから、超越瞑想を行うことで、新しいレベルの満足が得られることに気づきます。

──ヨガは、超越瞑想の実践を支えることにもなりますか?

ジェニー:ヨガを行っている人は、すぐにはっきりとした超越の体験を得ることに、私たちは気づきました。ヨガの実践は筋肉をほぐし、体のストレスを解放する助けとなります。それは心と体を整えることで、超越を体験するための準備になるのです。ヨガの実践と超越瞑想の実践は、互いにその価値を高め合うものです。健康を高め、生きる喜びを増すための素晴らしい組み合わせです。

原文・Rolf Erickson

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ヨーガの実践で最も自然な方法は、最初にサマーディを体験すること

ヨーガは、健康やダイエットのために女性の間で根強い人気がある。

ヨーガとは、サンスクリット語で「統一」という意味であり、それは、個人と宇宙を統一した至高の生命を示すものだ。ヨーガは、体を柔らかくするための姿勢ではなく、それによって到達した境地のことを言う。ヨーガを実現した人は、行動による束縛から解放され、人間にもともと備わっている潜在力──あらゆる可能性を自由に生きられるようになる。それは、精神性の極みであり、古くから「悟り」と呼ばれる、人間性と神性との統一だ。

50年前、聖人マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが超越瞑想を教えるために最初の世界ツアーに出発したとき、西洋では、ヨーガについてほとんど知られていなかった。『タイム』誌によると「米国でヨーガへの関心が爆発的に高まったのは、マハリシが米国で古代ヴェーダの叡智を復活させたことがきっかけであり、今日のヨーガの絶大な人気はマハリシの功績によるものだ」と書いている。事実、マハリシの超越瞑想とヨーガのフライングを含むTMシディプログラムは、ヨーガ、すなわち統一を実現するための実践法として知られている。

ヨーガに関する誤った解釈

ヨーガの状態は、インドに古くから伝わる「ヨーガ・スートラ」によって明らかにされている。そのなかで著者パタンジャリは、ヨーガを実現するための8つの実践──アシュタンガ・ヨーガについて説いている。

一般に、ヨーガとは、体の姿勢を整えるアーサナのことを意味するが、アーサナは、アシュタンガ・ヨーガ(ヨーガの8つの手足)の一つに過ぎない。マハリシによれば、アシュタンガ・ヨーガという言葉の意味は、遠い昔から誤って解釈されてきたという。

パタンジャリは、ヨーガの8つの手足について、体の手足が一つの体を形づくっているのと同じように、ヨーガの8つの手足も互いにつながりあっていると述べている。ところが、インドや西洋の注釈家たちは、このヨーガの8つの体系を、最終的にヨーガに至るための8つの段階であると解釈してきた。

そのため、熱望を抱く人々は、この8つの階段の一番下の段階から踏み出して、いつの日か8段階目のサマーディ(ヨーガ)の状態に到達するまで、ゆっくりと、うんざりするほどの時間をかけて、上の段階へと登っていくように勧められてきた。この観点から見た8つの段階のなかで、アーサナ(身体の姿勢)が、他の段階を覆い隠すほど大きな人気を得たため、それが今日、ヨーガとして知られるようになった。

一方、ヴェーダの叡智に対するマハリシの洞察は、ヨーガをすっぽりと覆っていたこのような誤った解釈を変えるものだった。マハリシは、テーブルの例えを使って次のように説明している。ヨーガの8つの手足は、テーブルの脚のようにつながっていて、一本の脚を引っ張りさえすれば、テーブル全体がそれについてくる。もし、ある脚が他の脚よりも引っ張りやすければ、その最も引っ張りやすい脚を引っ張ることで、最小の時間と労力で目的を達成することができるという。

体を曲げるよりも心を曲げる方が簡単

体は重くて、固くて、有形の物質であるから、その体を曲げるには、忍耐強く努力と訓練を重ねる必要がある。そのため、アーサナの実践によってヨーガを実現するためには、非常に長い年月をかけて、それだけに専心しなければならない。

一方、体と比べて、心は、はるかに柔軟だ。例えば、私たちは誰でも、自分の思いや想像する世界のなかで瞬く間にどこにでも行けるし、どんなことでも成し遂げることができる。心は無形のものであるから、心をその源の方向に向くように「曲げる」のは、とても簡単だ。心の源とは、純粋意識、サマーディ、ヨーガの状態である。心は本質的に柔軟なので、ひとたび適切なテクニックを学べば、自然にそして自発的に、心は「サマーディ(ヨーガ)」へと向かっていく。

サマーディの体験をもたらす超越瞑想

心をサマーディへと向けるテクニック、それがヴェーダの伝統に由来する超越瞑想だ。超越瞑想は、より大きな幸福を求めるという心の自然な傾向を利用して、心を内側へと向かわせる。すると、心は徐々に、より静かで落ち着いた状態を経験し始め、やがて完全に落ち着いた状態、超越意識──すなわちサマーディに至る。この場は、絶対的な静寂、無限の平和、完全に満ち足りた至福の領域だ。サマーディの経験は、個人と宇宙との統一、すなわちヨーガの意識状態をもたらす。超越瞑想という、努力の要らない──しかも楽しい──方法を、毎日二回、短時間行うことで、実践者は、ヨーガにしっかりと確立し、悟りへと高まっていくことができる。

超越瞑想を規則的に行い、サマーディを体験し始めると、ヨーガのその他の手足すべてが自然についてくる。テーブルの脚がいっせいに動くのと同じように、最も重要な手足であるサマーディの体験を繰り返すことによって、ヨーガの8つの手足が同時に成長するのだ。

超越瞑想と日常の活動を交互に繰り返すことによって、心が活動的であるときでさえも深い静寂──サマーディが安定するようになる。その結果、人は、変化の波に翻弄されることなく、人生のあらゆる面を真に楽しむようになっていく。それは問題や苦しみから解放された至福の人生である。

世界中でヨーガの人気が高まっているのは、人間が本来もっているすべての潜在力を得たいという、自然な願望の表れに違いない。あなた自身の最高の状態を得たければ、まずサマーディを経験することだ。そうすれば、例え、あなたが熱心なヨーガの実践者であれ、机上の空論のヨーギーであれ、忙しく働く市場のビジネスマンであれ、ヨーガの最終目標である悟りを実現することができる。なぜなら、これこそ人間の本来あるべき自然な状態であるからだ。


ヨーガの到達点であり、始まりであるサマーディ

木を考えてみましょう。土の下にある根は見えませんが、木全体を支えています。そして木の全体に栄養を送るために土から栄養分を吸収し、木全体に送ります。葉を瑞々しくよみがえらせ、花を咲かせ実を付けます。枝、葉、花、実は周囲の環境に支えられています。これが生命の全体性です。人間に例えれば、根は心に相当し、幹、枝葉は体に相当するでしょう。

数千年前のリシ(見者)である、マハリシ・パタンジャリは生命を8つの領域に分けて解説したのですが、後継者たちはヨーガ哲学を統合的に解説することを忘れ、次第に分断化されてしまったのだとマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは説明します。そして、本来ならば、木の根に水を与え、木全体が健康になってこそ初めて健康で美味しい果実を楽しむことができるのに、体でいえば枝葉の領域であるハタ・ヨーガと呼吸の領域を取り扱うプラーナーヤーマが大きくとりあげられ、現代ではヨーガ(ヨガ)は体を柔らかくするための姿勢として認識されるようになりました。

 

非常に多くの人々がヨガを趣味として始めています。ヨガの穏やかな動きは身体に優しく、楽しくてやりがいがあり、どの運動よりも効果的だからです。ヨガには心を落ち着かせる効果があることを多くの人が認めています。ゆったりとヨガの練習をし、身体を伸ばしたり、呼吸法を行うことで、忙しい日々の心配事から離れて、今という瞬間を楽しむことができます。

ヨガの姿勢を練習することは、とても楽しいことです。多くのヨガの実践者たちは、深い瞑想の体験を通して体と心と精神を統一することで、自分のヨガの実践をさらに深めることができるのではないかと感じています。そのため、ほとんどのヨガ教室で瞑想を勧めていますが、努力や集中をする瞑想を行っている人が多いように思います。

マハリシ・パタンジャリ

ヨーガ・スートラの原文では、ヨガの8支則は次のような順番で示されています。

1、5つのヤマ(遵守すべきことがら)日本では閻魔(エンマ)様として知られていますね。

① アヒンサー(非暴力)

②サティヤ(真実)

③アステーヤ(無欲)

④ブラマチャリヤ(純潔、生命力が常に上方に向けられている個人の状態)

⑤アパリグラハ(他人の所有物をうけとらないこと)

 

2、5つのニヤマ(生活の規律)

①シャウチャ(浄化)

②サントーシャ(満足)

③タパス(苦行)

④スヴァーディヤーヤ(学習)

⑤イーシュヴァラ・プラニダーナ(神への献身)

 

3、 アーサナ(身体のさまざまな部分、姿勢)

4、プラーナヤーマ(個人の呼吸の領域、呼吸の調整の領域)

5、プラティヤハーラ(五感とその対象との間にある生命の領域、五感が対象から離れること)

6、ダーラナー(五感と心との間にある生命の領域、心の安定)

7、ディヤーナ(心と「存在」との間にある生命の領域。瞑想の過程)

8、サマーディ(絶対「存在」、超越意識の状態忙しく揺れ動く心と、最も深い静寂のレベル(大我)との統合。個々の波が落ち着いて無限の海を経験すること)

 

アシュタンガという言葉は、8つのステップや8つの段階ではなく8支則と訳されているにもかかわらず、多くの人がパタンジャリの意図を誤解してきました。サマーディを得るためには、1番目の個人の道徳的なことがらから始めて、2番目の生活規律を実践し、最後に瞑想をするという順番で練習すべきだと考えてしまったのです。

約50年前、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが世界中をまわって超越瞑想を教えたとき、ヨガの世界にセンセーションを巻き起こしました。マハリシが教えた瞑想法は、シンプルで簡単に習得でき、サマーディを直接体験できる方法です。

パタンジャリは長い時の経過のために誤って解釈され、パタンジャリの意図とは正反対に理解されてきた、とマハリシは説明しました。「ヨガの練習はヤマ(個人の道徳)、ニヤマ(生活の規律)の順番で行うと考えられてきましたが、しかし本当は、サマーディから始めるべきなのです。ヤマやニヤマなどの練習によって、サマーディに到達するわけではありません。サマーディの経験を繰り返すことによって初めて、道徳心が向上するのです」。つまり、道徳心や行動の向上がサマーディをもたらすのではなく、サマーディの体験こそが道徳心や行動の向上をもたらすのです。

例えば、意識の中ですべてのものが統一されているという体験によって、アヒンサー(非暴力)が成長します。この生命の一体感は、サマーディの状態で直接体験できるとマハリシは述べています。同様に、アスティーヤ(無欲)は、充分に満足を感じているときにのみ到達できます。サマーディという至福意識の永遠の領域を繰り返し体験することによって、最も揺ぎない内なる幸福が自然にやってきて、アスティーヤに到達できるのです。

至福意識とは、ヨガによってもたらされる、より高いレベルのことです。ヨガは統合という意味です。ヨガは、身体と心と呼吸の統合と定義されています。さらに高いレベルでは、動き回る心(小我)と宇宙の知性(大我)との統合を意味します。ヨーガスートラによると、この統合は非常に素晴らしい至福をもたらします。

瞑想を通して大我と一体になるという経験について、マハリシは、次のように説明しています。「その幸福の強さは、最高の強さをさらに越えたものです。この至福により、大きな悲しみも小さな悲しみも、あらゆる悲しみの可能性が消えてなくなります。太陽の輝く光の中には、どんな暗闇も入り込めません。どんな悲しみも至福意識の中には入り込めませんし、また、至福意識が至福意識以上のものを得ることもありません。この自足の状態により、人は自分自身の中に安定し、永遠の満足に満たされます。」(マハリシによるバガヴァッド・ギーターの翻訳と解説、6章20節より)

ではなぜ、人々はこの至福にあふれた自然な過程をなぜ難しいと考えたのでしょうか。パタンジャリは、ヨガを「心が完全に落ち着いた状態」(ヨーガスートラ、1.2)と定義しています。しかし、現在習うことのできる多くの瞑想法では、ある程度の集中や努力やコントロールを必要としているために、心が完全に落ち着くのを妨げています。これに対し、超越瞑想は何もしないという方法です。いかなる種類の試みも必要とせずに、瞑想者が簡単に内側に飛び込めるようにします。

簡単で努力のいらない瞑想は、啓発へと至るための「本物の瞑想」だと言えるでしょうか? 答えはイエスです。超越瞑想のシンプルさを誤解している人がいるかもしれませんが、超越瞑想は、本来の純粋な方法を復活させた瞑想法です。シンプルで簡単なのは自然だからです。つまり、心と体の基本的な性質と完全に調和しているので、効率が良いのです。自然は常に効率的です。例えば、自然のすべての動きは、最も少ない活動や努力を選びます。同じように、超越瞑想を努力なしに実践している人は、心の奥深くまで飛び込むことができるのです。

 

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Meeting The Beatles in India/2020/加/79分/監督:ポール・サルツマン
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『ホワイト・アルバム』誕生に遭遇したひとりの青年の8日間。
1968年、失恋した23歳のサルツマン監督は、北インドのマハリシ・マヘーシュ・ヨーギー訪問でビートルズの4人と出会う。彼らとともに過ごした奇跡の8日間が、50年以上を経て初めて明かされるドキュメンタリー。
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