意 識
アーユルヴェーダを、マハリシ・アーユルヴェーダとして復活させたことの中心的な目的は、
意識を治療と完全な健康の基盤にある本来の正しい役割に戻すことである。
物理学者のマックス・プランクはこう言っている。
「意識が第一であると私は信じている。
物質は意識に由来するものであると私は信じている」
何千年にもわたって、これがアーユルヴェーダの古典的文献における中心的な理解であった。
意識に注意を払うことは、最優先でなければならない。
しかし、ここ何世紀かの間に、このように意識を優先させることがアーユルヴェーダから消えてしまった。
マハリシによると、その主な理由は瞑想の方法が正しくなかったためである。
そのために、瞑想は難しいものである、大変集中力を必要とする、という考え方が次第に支配的になってきた。
つまり、瞑想は、数少ない、才能に恵まれた熱心な人たちだけが、日々の生活に注意がそれないように人里離れた山の中や洞窟の中に住んで行うものだ、と考えられるようになったのである。
1950年代の中ごろマハリシが教えを説き始めたとき、特に焦点を当てたのは、このような瞑想に対する誤解を逆転させることであった。
瞑想は実際には努力のいらない自然なものであり、自然の最少作用の原理に即したものである、ということマハリシは強調した。
超越瞑想テクニックは容易である。
なぜなら、それは自然なものであるから。進化は生命にとって自然なものである。
より精妙なレベルへと落ち着いていくのは心の自然な傾向である。
このような理由から、もし、あるテクニックが難しいものであるならば、それは不自然なものである、と私たちは知るのである。
もし、それが難しいものであるならば、それは生命の自然な傾向に反している。
過去何世紀にもわたって、瞑想は難しい、瞑想は選ばれた少数の人達だけのものである、という考えが広められてきた。
しかし、そのように考えられた理由は、単に正しい指導がなかったからにすぎない。
超越瞑想は大変簡単に学ぶことができる。10歳の子供でも行うことができる。
その上、その健康への恩恵は数百の研究によって確かめられている。
しかも、宗教的な信仰を求められたりすることはないし、考え方や生活様式を変える必要もないので、どのような文化の中で育った人でも、どのような生き方をしている人でも、超越瞑想をおこなうことができるのである。