医学博士・生理学博士
トニー・ネイダー著
『人間の生理』
ヴェーダとヴェーダ文献の現れ
を読むときに、
生理学に関する基本的知識があるとよりよく理解できます。
 
皆様は玉先生のウェブ講座をご覧になったことはありますか?
たとえば

解剖生理学 34話「神経のしくみ」

基礎から丁寧に教えてくださるのでとても勉強になります。

あるいは

生物4章5話「5種類の脳」byWEB玉塾

 
どうです、とても面白くてためになるでしょう(^_-)-☆
 
なんといっても、ジョークやウィットに富んでいて
勉強が楽しくなります。
 
これほどの作業はまさに偉業ですよね!
わたしは、いつも感謝しております。
 
さて、
このような基礎知識を得たうえで、ネイダー博士
(マハラージャ)の『人間の生理』を読むと、
理解がすこし進むのですが、
 
この本は、聖マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの薫陶を受け、

人間の最も古い記録といわれ、宇宙の設計図ともいえるヴェーダ(知識・科学)

とヴェーダ文献が、人間の生理と一対一の対応があることが示されています。
 
私たちは、数十億もの太陽や銀河に囲まれて生きているのですが
マハリシは、一人の人間というちっぽけな点の中に、
宇宙全体があると説明します。点の中にです。
 
つまり、私たち一人一人は大宇宙という広大な空間と比べると
まさに点のような大きさの生命であるのですが、
その個人個人の中に全宇宙が含まれていると言うのです。
 

汝自身を知れ

汝自身を知れという言葉がありますが、
 
表面的な想念の認識から、目覚めたまま次第に意識の深みを
体験していき、やがて最も微細な想念を超えた瞬間、私たちは
純粋な意識、自分以外を何も含まない意識自体を体験します。
 
TMでは純粋意識、超越意識、純粋知性などと表現しますが、
体験自体は同じ無限、無窮の意識そのものなのですが、
純粋意識を表現する言葉は世界中で異なります。
 
おとなりの中国では、老子が表現しようのない、
言葉を超えたもの、しょうがないので道(タオ TAO)
と呼んでおこう、と言った、あの表現しがたいものです。

 
現代物理学では、統一場(とういつば)unified field
と呼びます。
 
マハリシは、現代物理学が統一場を突き止めるに
至ったので、客観的な見地に立つ科学者と、
主観的立場に立つ宗教家が、同じテーブルに座って
話し合えるようになった、と表現しています。
 
さて、
純粋意識は一つの場であり意識なのですが、その中には
 
知るものと、知られるものと、知る過程の三つが
 
混然一体と、三位一体の形で含まれていいて、
 
サンスクリット語でサンヒターと言います。
 
つまり、私たちが 知識 というとき、
知識には三つの側面を含んでいるのです。
 
 
①認識者   つまり、これを読んでいる個人個人ですね。
②認識の過程 あいだを取り持つ説明者、或いは脳機能のしかた
③認識の対象 知る内容、情報知識、対象に関する知識
 
この三つを、サンスクリット語では
①リシ
②デーヴァター
③チャンダス といい
一緒になったものをサンヒターといいます。
 
1であり、同時に3でもあるのです。三位一体です。
 
トニーネイダー博士の「人間の生理」の本では、
ヴェーダとヴェーダ文献の40の部門を
リシ・デーヴァター・チャンダスとサンヒターの観点
から整理して
書かれてあるのでとても系統だっていることが分かります。
 
 
と、ここまで書くと、マハリシ先生の言葉が身に沁みます。
 
それは、現代教育は、知識の対象に関する知識ばかりを
詰め込もうとしますが、
 
どれほどの知識を勉強しても、
 
たとえ、図書館のすべての本を読んで暗記したとしても
それは、知識の三分の一である対象に関する知識のみであり、
 
知識を知れば知る程、まだ自分が知らない知識領域がることに
気づき、無知が眼前に広がってしまう。
 
したがって、いつまでたっても、知識を知ることの眞の価値、
つまり満足・成就が得られることは無いのだと・・・
 
ですので、学生に一つ一つの知識を教える前に
究極の満足の場、超越意識の体験を与えることを
最初にしないかぎり、知識の三分の一に甘んじてしまい
 
教育の成就はもたらされず、
 
いつまでたっても、学生が知ることの果実を味わうことが
できないと・・・・・