特別記事 月間ユートピア2022.5月号より
ウクライナ軍事侵攻に平和をもたらす調和創造グループの有効性に関する科学的研究、モザンビークの成功事例
平和のための世界科学者連合 Global Union of Scientists for Peace(GUSP) 国際代表 ジョン・ヘーゲリン(物理学博士)
4月号に続き、本稿の第一部では、平和のための世界科学者連合(GUSP)のウェブサイトより、調和創造グループの有効性を示す科学的研究や事例などをご紹介します。
50回以上のグループ実習の実証実験と23件の科学的研究
社会的暴力、テロ、戦争を防止するうえでのTMとTMシディプログラムのグループ実習の有効性は、過去50回以上の実証実験と23件以上の科学的研究によって確認されています。
これらの研究は、第三者の研究者たちによる慎重な精査を経て、査読論文として学術誌に発表されています。
どの実証実験においても同アプローチは、犯罪、社会的暴力、テロ、戦争の減少をもたらし、社会の平和と肯定的傾向を向上させていることが分かります。
レバノン戦争での死者数の減少
動アプローチの社会的影響を検証する実験が、レバノン戦争の最も激化した時期に実施されました。
1983年隣国のイスラエルで行われた、2カ月間のグループ実習の参加人数と戦争状況の相関関係を毎日調査した結果、参加者数の増加に伴い(図の右側の「TMグループの規模」)、レバノンの戦死者が76%減少しました。(p=.0006).
同時期のイスられるにおける犯罪、交通事故、加治、その他の社会的ストレス指標(これらを総合的指数に統合)はすべて、TMグループの規模との相関関係が認められました。
その他の総敵視売る要因(週末、休日、天候など)は統計的にコントロースされました。
この社会実験は、暴力的紛争を緩和するための新理論と技術を検証するものと言えましょう。
社会科学史上、最も厳密に検証された敵対状況の低減現象
先述の研究結果は、その後のレバノン戦争のピーク時の2年間に行なわれた7回の連続実験で再現されました。
これらの介入の結果は以下の通りです。
戦争に関連する死者数が71%減少(p <10 -10)
戦争関連の負傷者数が68%減少(p <10 -6)
紛争レベルは48%低下(p <10 -8)
敵対者間の協調性が66%増加(p <10 -6)
これらの結果を統合した偶然の勃発率の可能性は10の19乗分の1(100京会に回)以下であることが示されました。
社会的ストレスと敵対状況のこの水準の低減効果は、社会科学史において、最も厳密に検証された現象と言えましょう。
モザンビーク国軍への導入事例 終戦時の暴力犯罪が20%減少
以下、紛争が続いていたモザンビーク共和国の国軍への1993年のTM・TMシディプログラムの導入事例に関するチサーノ元大統領とドビアス元中将による発表をご紹介します。
ジョキアム・アルベト・チサーノ氏(モザンビーク共和国元大統領)
我が国が直面していた様々な深刻な問題の解決策を真剣に模索する中で、国の高官たちが超越瞑想を実践するようになりました。
この瞑想法との関連技法を真剣に厳格に調査した後、軍統合参謀本部は、TMプログラムを国軍に導入するを決定しました。
トビアス・ダイ氏 (モザンビーク共和国 国軍 元中将 )
陸・海・空軍の各部隊に、TMを指導するという大仕事が始まりました。
1993年の1年間に、約15,000人の軍関係者が指導を受けました。
その結果ストレスに起因する健康問題や、高潔合う、不眠症、問題行動等、軍隊に蔓延していた様々な問題が、即座に改善されていきました。
薬品の使用量が減少し、通院回数は減少し、部隊の人間関係や士気も向上し、命令もより効率的に実行されるようになりました。
一般的な緊張感も、大幅に軽減されました。
さらにマプトで数千人が受講したところ、暴力犯罪が20%減少しました。
通常、終戦時には、犯罪増加が予想されていますので、この結果は異常でした。
ケリマネでも20%減少、マニカでも同様の結果でした。
国民全体が楽観的になり、国中で農業や経済の復興活動が即座に始まりました。
この年1993年、予想外の19%の経済成長を目の当たりにすることとなりました。
紛争が絶えなかった国土に平和が維持されていることに、私たちは驚かされました。
以前は争っていた人民の間に調和が生まれました。
外部の力により分断され闘争していた兄弟たちが再び理解し合うという、ほとんど不可能に思えたことが現実となりました。
さらにモザンビーク全土で、目立った暴力事件が勃発することなく、自由で民主的な選挙が実現できたことは、特筆に値することでした。
モザンビーク軍における超越瞑想とTMシディプログラムの導入は努力に値するものでした。
予測されていた結果が得られた、と結論付けられました。
キーウ(キエフ)世界平和サミット
2017年6月14日から15日の2日間、首都キールのフェアモントホテルにて開催された世界平和サミット(GUSP主催)では、国家の安全保障と世界平和への新しいアプローチが模索されました。
2007年ノーベル平和賞受賞者「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)}前議長ラジェンドラ・パチャウリ博士やウクライナ国軍ヴァシル・クルトフ将軍を始めとして、数々の発表がなされました。
ウクライナ国営テレビ局8社など38のメディアが同サミットを取材・報道しました。
この世界平和サミットの要約として位置づけられる、世界平和サミット2017決議書は、以下の通りです。
決議書(Resolution)
今般の第一回世界平和サミット「科学と平和⁻暴力と社会的紛争に対する、科学的研究により実証された解決手法」にて、ウクライナ並びに世界各国から600人以上の一流の科学者、教育者、政治指導者がキーウに参集し、暴力と社会的紛争という深刻な世界的問題に対し、革新的で科学的研究に基づく解決手法を模索した。
平和サミット総会にて、教育、安全保障と国防、経済、現在の社会体制と政府構造の見直し、地球規模の気象変動により高まりつつある脅威から文明を守ることなど、幅広い分野にわたって、実績ある解決手法に関する発表や有益な提言がなされた。
平和サミット総会にて、個人と社会の両レベルで、きゅせいストレスならびにストレスに起因する暴力的・反社会的行動を緩和する、科学的研究に基づくTM・TMシディプログラムなど、実証済みの解決手法の即時採用を満場一致で決議する。
同手法は、すでに世界38か国で公的機関に認められており、南米22ヵ国を含む国々の公立教育機関や軍隊などをに導入されている。
同手法の軍事面での応用として、社会的ストレスを中和し、戦争の勃発を防止する目的で考案された特別予防部隊(Prevention Wings)は、エビデンスに基づく超越瞑想のグループ実習を実施する。
この意識の技術によって生み出される社会への調和と秩序の影響は、テロや戦争を防止し、暴力にさいなむ国々を平和の状態に変革し、同時に、経済、国民の健康、生活に質など、生活全般を改善することが、繰り返し実証されている。
平和サミット装荷では、モザンビーク共和国元大統領並びにアフリカ連合元記帳を歴任したジャアキム・アルベルト・チサーノ氏から、同国の変革事例についての発表がなされた。
平和サミット総会は、ウクライナの教育並びに安全保障システムにおいて、この平和的アプローチを、直ちに広く実施するよう求める。
平和サミット総会は、ウクライナのヴァシル・クルドフ将軍が語った「和岩と安全に関する新しい世界県のパラぢむ」のような、エビデンスに基づく技術、方法論、プログラム、発送の研究開発を要望することを決議する。
平和サミット総会は、TM・TMシディプログラム、さらにその他の有望な新手法の国際的な有効性と対費用効果を検証するために、実地試験と実証的研究を強く支持する。
平和サミット総会は、気候科学が示す現実を認識し、人類の平和と安全のために地球規模の気候変動の脅威を軽減する、エビデンスに基づくあらゆる方法と技術を支持することを決議する。
最後に、世界平和サミット総会は、世界の各国政府に対し、平和のための世界科学者連合と協力し、すべての国の国民の健康、安全、安心を確保するために、直ちに資金支援を実施するよう求めることを決議する。
人類に恒久的な平和と繁栄と進歩が永久にもたらされますように。
上述の決議(Resolution)は、2017年6月15日、ウクライナ・キーウにて開催された世界平和サミット総会にて、全会一致で採択されました。
(翻訳・編集 マハリシ総合教育研究所代表 鈴木志津夫)
以下、TMウェーブ記事より
激しい内戦から復興を遂げたモザンビークの奇跡
アフリカの南東部にあるモザンビーク共和国は、アフリカのなかで奇跡的な発展を遂げた国として知られる。
1992年には、20年間続いていた内戦が終結し、新政府を発足したが、深刻な干ばつの影響と政情の不安定さが予想され、連合軍が派遣された(日本からも自衛隊が海外派遣された)。
大方の予想では、先行きが見えず、復興には時間がかかると見られていた。
これはアフリカ全土の平均2.8%を大きく上回り、東アジアの7.6%に匹敵した。
こうした驚くべき経済発展は、「モザンビークの奇跡」と呼ばれ、アフリカ情勢の研究者は、このモザンビークの奇跡的な復興から学ぼうと、その要因を調査している。
モザンビークの奇跡は、なぜ起きたのか?
モザンビークが発展を遂げた理由は、いくつか挙げられている。
しかし、そのなかであまり知られていない事実がある。それは、ちょうど内戦の終結直後に、当時のモザンビーク共和国のシサノ大統領が超越瞑想を国家導入していたことだ。
シサノ大統領は、1992年に政府に超越瞑想とその上級のプログラム、TMシディを導入し、翌年には陸・海・空軍の部隊へと拡大していった。
各都市に駐屯していた1万5,000人の軍人が、これらプログラムを実践すると、内戦終結後に危ぶまれていた政情不安も安定し、5年間続いていた干ばつがなくなった。他にも犯罪率が20%減少し、また交通事故での死者数も減少した。
シサノ大統領は、これらの功績によって、母国に平和と発展を実現した政治家として国際社会からも認められ、引退後の2007年には、アフリカの優れた指導者へ贈られる「モ・イブラヒム賞」の第一回受賞者となった。
当時のニューヨーク・タイムズ(1993年2月22日)は、次のように報道している。
「モザンビークがアフリカの成功物語の候補国として台頭してくるとは、誰も予測していなかった。
……モザンビークは過酷な日照り続きで、第二のソマリアとして国際的な救援の必要性が訴えられていた。
その日照りが、大地をうるおす雨で終わり、今では穀物が国中に豊かに実っている。
『私たちは平和と雨の両方に恵まれました。これはモザンビークで25年ぶりのことです。』と、CARE*の救援物資配送の現地担当者も驚いていた。」
※CARE:途上国の民衆への救済活動を行う国際的民間団体
プロジェクトは、どのように始まったのか?
1993年7月3日、オランダのフロドロップにあるマハリシ・ヴェーダ大学を訪れていたシサノ大統領は、モザンビークで起こっている一連の良い出来事はすべて、マハリシの意識のテクノロジーのおかげであると話した。
そして、どのようにしてモザンビークで超越瞑想のプロジェクトが始まり、このような結果が得られたのかを次のように語った。
「最初に私と妻が超越瞑想を学び、それを家族や親戚のみんなに紹介しました。
その次に、大臣とその婦人たちも瞑想を始めました。
超越瞑想は、心に平和を体にリラクゼーションを与えてくれると私はみんなに話しました。
みんなが瞑想を始めてこれらの効果を経験した後で、私はさらに、多くの人たちが超越瞑想を行えば社会に調和が生み出されることや、天候さえも改善されると説明しました。そして、実際にその通りになったのです。」
懇談するシサノ大統領とマハリシ
モザンビーク共和国の軍司令官、トビアス・ダイ中将は、超越瞑想の導入に至る経緯を詳細に報告している。
「モザンビークは、過去16年にわたった戦争期間の後、1992年10月、ローマで一般和平協定に調印しました。
人命と物的財産の面での損害は非常に大きく、わが国はきわめて不安定な状況に陥りました。
一般和平協定の調印後、わが国での総選挙の実現までには、まだ長い道のりがありました。
一般和平協定の有効な実施の不確かさ、選挙まで平和が続く可能性への疑いが、和平協定の調印後にモザンビーク国民の心に初めて芽生えた幸福に影を落としていました。
今後、国連組織を派遣するという提案も、平和維持を保証するものではありませんでした。
そうした時期に、私たちは、マハリシ・ヴェーダ大学の代表者と接触し、彼らのテクノロジーとその効果について詳細な説明を受けました。
提示されたテクノロジーが真剣かつ批判的に検討された後、モザンビーク軍の統合参謀本部は、そのテクノロジーの軍隊での実施の可能性について分析・研究する任務を託されました。
この提案に対する徹底的な評価が完了した後、統合参謀本部は、国内にマハリシ効果*を生みだすことを目標に、超越瞑想とヨーガのフライングを含むTMシディプログラムをモザンビーク軍で実施する決断を下しました。
それを試すか、それとも無視するかは、決断の問題でした。
この決断はモザンビークに国連軍が到着する前に行われました。
※マハリシ効果 人口の1%の平方根の人数が、超越瞑想とその上級プログラム、TMシディをグループで実践することで、環境に肯定性と調和的な影響が生み出される現象。経済が発展し、犯罪、病気、交通事故など否定的な出来事が減少することが、社会科学者によって大規模な実験が行われ、科学的に検証されている。
超越瞑想を導入する大規模なプロジェクトが始まる
こうして、陸軍、海軍、空軍を含めた国内のさまざまな部隊で超越瞑想を指導する大規模なプロジェクトが始まりました。
1993年にはマプート、ソファラ、マニカ、ザンベジ、ナンプーラ、ニアッサ、カボ・デルガドで、約15,000人、1994年には1,000人以上が指導を受けました。
また、内務省に属する警察学校でもこのプログラムが開始されました。
全部で3,000人以上がTMシディプログラムの訓練を受けました。
プログラムが始まる前から、マハリシ効果の結果は予想されていました。
マハリシ効果が生みだすコヒーレンス(同調)の影響で、平和が維持され、犯罪指標に改善が現れ、自動車事故件数が減少し、前例のないほど経済が上向くといった予想が私たちに示されました。
マプートで何千人もの人々が指導を受けたとき、1993年の第一・四半期の犯罪指標が20%減少しました。
この減少率はまったく異常なことでした。なぜなら、戦争終結後に犯罪が増加すると予想されていたからです。
同じことがケリマネ市(20%減少)とマニカ州でも起こりました。
そして、軍隊の移動や軍隊の解散のためにグループによる実践が停止すると、犯罪指標は再び増加しました。
1993年に、国内の自動車台数が約3~4倍に増加し、国内の自動車の普及率が劇的に増加しました。
また、28年ぶりに国中の道路を自由に旅行できるようになりました。
にもかかわらず、自動車事故による死者数は前年とほぼ同程度にとどまりました。
1993年の経済成長率の予想は6%でしたが、実際には19%の伸びを示して完全に予想を上回りました。
グループ実習をやめると、効果が減少した
非常にはっきりしているのは、いったん肯定的な影響が生みだされた後で、グループ実践を止めると、犯罪指標や国内の緊張状態から判断されるように、以前の傾向がまた現れて集合的なストレスが高まりはじめるということです。
1994年に、超越瞑想とTMシディプログラムのグループ実践の参加者が減少した結果、国内のコヒーレンスが著しく減少しました。
参加者が減少したのは、プログラムを実践する部隊が解散したり、プログラムを履修科目に組み込んだ警察学校の課程が予定どおり終了したためです。
これまで、多くの困難がありながらも、二年間にわたり平和を維持することができ、また自由で公正な選挙が実施されました。
これは世界で唯一成功した国連派遣団活動です。
私たちは結論として、超越瞑想とヨーガのフライングを含むTMシディプログラムをモザンビークの軍隊で実施したことは、その努力に見合うだけの価値があり、その結果は期待を裏切らなかった、と言うことができます。」
モザンビークでTMシディプログラムのヨーガのフライングを大人数で実践したグループは、ダイ中将が演説で言及したように、1994年にその参加人数がかなり減少したが、規模を縮小したグループが国内にコヒーレンスの影響を生みだし続けている。
モザンビークの復興は、一般的な現象ではなかった
上述したモザンビークでの変化は、似通った条件をもつ国アンゴラと比較すると、同時期の展開において著しい対照を見せていた。
この比較から、モザンビークが体験し続けている進歩は、この地域における一般的な現象ではないことが明らかだ。
アンゴラとモザンビークは、かつてポルトガルの植民地であり、両国とも1970年代と1980年代には長く厳しい内戦に苦しんでいた。
1990年代初に、両国は、国連が実質的に監視した和平協定に調印する。
しかし、アンゴラでの和平協定は1991年5月から1992年10月まで保たれたが、その後協定は決裂し、再発した内戦は1994年11月の新たな協定まで続いた。
和平協定と国連軍の駐留にもかかわらず、暴力と無秩序はアンゴラの深刻な問題であり続けた。
たとえば、1997年の激しい戦闘は1994年の和平協定を脅かし、アンゴラの経済は混乱を続けていた。
一方、モザンビークは、1992年10月の協定の後すぐに、マハリシの防衛のためのプログラムを実施した。
その結果、モザンビークにおける暴力と無秩序は劇的に減少し、同時に、国家経済は回復し始め、それ以来ずっと堅調な経済成長を示している。
現在、モザンビークは、アフリカにおいて激しい内戦からの復興に成功した国家の模範と見なされている。
こうして、最も悲惨な状況にあった国家の運命は、たった一人の人物の決断によって、大きく変わることになった。
そして、このモザンビークの奇跡は、超越瞑想とTMシディプログラムという意識のテクノロジーが、国家のあらゆる問題を解決できることを示す良い実例となった。
その後、チサーノ元大統領は、2009年に米国のマハリシ経営大学を訪れ、それ以来、アフリカの教育、健康、平和の促進のために超越瞑想を広める活動に協力している。
南アフリカのヨハネスブルグにある
超越瞑想を大学課程に組み込んでいるMaharishi Instituteを訪れたチサーノ元大統領(2009年)