憲法の九番目の表現「AGNIM ILE PUROHITAM YAGYASYA DEVAM RITVIJAM HOTARAM RATNA DHATAMAM」

憲法の九番目の表現は、リグ・ヴェーダの最初の九つの言葉、「AGNIM ILE PUROHITAM YAGYASYA DEVAM RITVIJAM HOTARAM RATNA DHATAMAM」の中に表れています。

これは、リグ・ヴェーダの最初の賛歌の最初の詩節を成しています。

 

憲法のこの表現は、非常に集約された完全さと純粋性(RATNA)にまで成長した意識があふれ出して、その価値を環境に放射している様子を表しています。

意識の全体性は、生命の至高の価値を与えるもの(DHATAMAM)啓発をもたらし、それを万人に与えるものとして表されています。

 

憲法のこの表現は、世界政府が生命の至高の贈り物の授与者となるよう、要請しています。

創造的知性の純粋な輝き(RATNA)が、その輝きを放射する(DHATAMAM)ためには、それが生き生きとしていなければなりません。

ですから、世界を悟りへと導く世界政府は、啓発された(悟った)人たちで構成されている必要があります。

同様に、どの国の政府も国民にとって十分に価値あるものとなるためには、その政府が啓発された人たちによって構成されていなくてはなりません。

マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー

 

※参考に

日本には、天なり(あまなり) という言葉があります。これは、天があるままに地上でも自然法則に則って生きる状態を示していると思います。

また、自然の源、あるいは天の法則と言っても同じことなのですが、両者をつなぐことを、間(ま)をつるという意味で、間宙る(まつる)と表現するようです。

これは、祭り、祀り、そして政(まつりごと)という言葉で表現されます。

つまり、正しい治世・統治とは、天の法則のままに、地上での営みが行われることが一番自然なのですが、そのためには国民の意識も高くなければならないと、この9番目の表現は示しています。

 

古代においては、神をまつり、神の意を知ってそれを行なうことが、そのまま国を統治することであったところから、転じて) 君主・主権者が、その国の領土人民統一治めること。政治政道

書紀720継体元年三月前田本訓)「皇后手白香皇女立てて内(うちつこと)に脩教(マツリコト)せしむ」←weblio辞書より

 

同時に、7番目の表現にもあったように、政府には絶対、無活動の要素がなくてはならないとも言っています。

マハリシは、「政府は国民の無邪気な鏡である」と解説します。

つまり、国民の意識があるがままに政府があるわけですから、私たち一人一人が自ら意識を高める必要があります。

 

上記は、リグ・ヴェーダの冒頭句であり、分析すれば「AGNIM ILE PUROHITAM YAGYASYA DEVAM RITVIJAM HOTARAM RATNA DHATAMAM」の九語で構成されています。今回の九番目の解説は、ここまでの九語です。

マハリシはまた、リグ・ヴェーダの最初のこのリチャー(詩句)を、8×3=24のアクシャラ(音節)と24のサンディ(ギャップ)に解析して解説を行います。

アク ニ ミー レー プ ロー ヒ タム  

ヤ ギャ スャ デー ヴァム リ トヴィ ジャム 

ホー ター ラム ラ トナ ダー タム アム

 

 

 

 

統一場理論では、10次元の数学で表現される部分であると解説しています。

第二リチャーが現れる段階で、10次元から3次元の表現により詩句が詳述されていきます。

これはまたいつか載せてみようと思います。

次回の10番目の表現は、これら最初の詩句をまとめた賛歌としての解説になります。

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