憲法の三番目の表現「AGNIM ILE PUROHITAM」

憲法の三番目の表現は、リグ・ヴェーダの最初の三つの言葉、「AGNIM ILE PUROHITAM」の中に見出されます。

意識がその純粋な潜在性(AGNIM)の中から表れ出て、それ自身の内側の本性へと戻っていく(ILE)時、意識はその動きの中に、その創造的潜在力の全体を表現することができるようになります。

意識は、「PUROHITAM」の性質、すなわち、動いている純粋な潜在性をとるようになるのです。

PUROHITAM」は自己認識によって活性化され、それ自身の非具象の構造の内部で行動を開始できるようになった、意識の全体性を表しています。

 

このレベルからの行動は失敗することがありません。

なぜなら、全体性が行動するとき、行動のどの段階でも、全体性は全体性を失わないからです。

行為者は行動のゴールを達成するために自分自身から外に出ていくことはしません。

行動は無行為の状態で達成されます。

行動のゴールは、行動の源に常に存在しています。

PUROHITAM」という言葉は、すべての行動の静かな開始者、内なる支配者、すべての権威、法則、力、知性の源泉、すべての政府の原型を表しています。

三語からなる憲法のこの表現は、無行為の哲学という観点から、成功する行政、統治の技術を表しています。

この原理に従う政府は「PUROHITAM」の質を得て、常に最小の努力で最大の達成を成し遂げるようになります。

                                                                         マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー

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※参考まで

弓と禅

すると先生は声をはげまして「いや、その狙うということがいけない。的のことも、中(あ)てることも、その他どんなことも考えてはならない。弓を引いて、矢が離れるまで待っていなさい。他のことはすべて成るがままにしておくのです」と答えられた。そう言って先生は弓を執り、引き絞って射放した。矢は的のまん中にとまっていた。それから先生は私に向かって言われた。――「私のやり方をよく視ていましたか。仏陀が瞑想(めいそう)にふけっている絵にあるように、私が目をほとんど閉じていたのを、あなたは見ましたか。私は的が次第にぼやけて見えるほど目を閉じる。すると的は私の方へ近づいて来るように思われる。そうしてそれは私と一体になる。これは心を深く凝らさなければ達せられないことである。的が私と一体になるならば、それは私が仏陀と一体になることを意味する。そして私と仏陀が一体になれば、矢は有(う)と非有(ひう)の不動の中心に、したがってまた的の中心に在ることになる。矢が中心に在る――これをわれわれの目覚めた意識をもって解釈すれば、矢は中心から出て中心に入るのである。それゆえあなたは的を狙わずに自分自身を狙いなさい。するとあなたはあなた自身と仏陀と的とを同時に射中てます」

【『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル述:柴田治三郎〈しばた・じさぶろう〉訳(岩波文庫、1982年/原講演は1936年〈昭和11年〉)】

先生とは、電気を消した暗闇で線香の明かりだけの中、1本目の矢に2本目の矢を当てた阿波研造先生のこと。