マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー(TM運動創始者)によるヴェーディック・サイエンス入門編

                             明かされたヴェーダの神髄 1991年 月刊誌UTOPIAより

科学的手法によって明らかにされる純粋知識の構造

ヴェーダが何であるかを分析すると、書物はヴェーダではあり得ない、純粋知識は本であるはずがないということが理解できます。

純粋知識の形に表れていないパッケージは、純粋意識において体験されるものです。

体験によってそれは明らかにされます。

この体験を経て、ヴェーダは言葉を通して表現されます。

そして、パンディット(ヴェーダの吟唱をする継承者)から聴くような形で、言葉を通して、私たちはヴェーダに触れることができるのです。

超越意識におけるヴェーダの直接体験と、言葉によるヴェーダの表現の両方が、実験的に探究することができます。

ヴェーダの表現された価値についての科学的探究は、いかにして言葉が発せられるかを分析します。

舌や喉や口蓋はどうなっているのか、声帯の仕組みはどんなものか、どのようにして音が作られるのか、どの位の息が必要なのか等を分析します。

また、言葉を発する際、心や理知や自我がどのくらいそれに関わっているのかを調べます。

そして、言葉の源は自我ですから、最終的には、言葉の究極の源は自我の源、つまり破壊することのできないアクシャラの場にあるということを突き止めます。

ヴェーダの直接体験を得るための科学的探究は、私たちの意識の励起を静めていくことによって行われます。

意識のこの励起の無い状態において、意識が意識自身をもっともっと深遠に知るようになると、意識は自然法の場を体験し始めます。

意識が自然法となって反響する時、その気づきの活動はすべて自然法と調和したものとなり、外側の自然の力全体が内側の自然の力全体と調和するようになります。

この状態が実現すれば、自然の力の全体を日常生活で生きることができるようになり、あらゆる可能性が生き生きとしている場が日々の生活に組み込まれます。

しかも、非常に体系的で高度に科学的な方法によって達成することができるのです。

 

スムリティとは「記憶」

ヴェーダ文献には、さらに別の側面があります。

スムリティ」と呼ばれるもので、知性、意識、気づきの基本的な特性を取り扱います。

気づきとは記憶に他なりません。

何か思い出すということは、それが気づきにもたらされるということを意味します。

スムリティとは「記憶」という意味です。

ですから、スムリティと呼ばれるヴェーダ文献では、気づきの特性が取り扱われます。

気づきがゆらぎの状態、励起状態にある時に、どうすればその形に表れていない価値を忘れないでいられるかという問題を取り扱います。

 

もし、全体なる自然法が気づきの外にあるとすれば、その人は自分自身の本質を知らないということになります。

全体なる自然法が記憶されていれば、その人は啓発(悟り)の状態に確立されていると言えます。

そのような人は、個人的な活動を通して、全体なる生命を生きています。

全体なる自然法の記憶が維持されていれば、個別のものが普遍のものと結び付けられます。

 

アーユル・ヴェーダの医療効果

スムリティが失われ、無拘束性の記憶が跡形もなくなってしまうと、今度は純粋知識の「修正作用」が始まります。

これが、アーユル・ヴェーダの医療効果です。

アーユル・ヴェーダは生理機能を自然法と調和したものに戻し、全体なる自然法の記憶を維持し続けることのできる気づきを回復します。

このように、スムリティはアーユル・ヴェーダと密接に関わっています。

 

その人がどのように振る舞い行動するかをみれば、形に表れていない全体なる自然法の場とその人がどの程度調和しているかを知ることができます。

そして、生理機能の質は自然法との調和の度合いに依存しています。

相互に関係しているのです。

 

アーユル・ヴェーダは、すべての異常性、肉体の領域、心理の領域、理知の領域、自我の領域にある異常性を正常な状態に戻します。

アーユル・ヴェーダは完全な健康に関する科学です。

純粋知識の構造、ヴェーダと、スムリティの中に述べられている、根本的なリアリティの見地から健康を取り扱います。

ヴェーダは、破壊することのできない不滅の場である形に表れていない世界を描写し、スムリティは、形に表れていない世界と、自然界に見られる具象化の過程との関係の本質を解き明かします。

 

生理機能は具象化の家庭と密接に関わっています。

生理機能の中に何か誤った点があれば、ただちに意識に影響が及びます。

相対界に対する気づきと絶対界に対する気づきの間の適切な連携、形に表れていない非具象世界に対する気づきと具象世界に対する気づきの間の適切な連携を保つためには、生理機能は純粋でなくてはなりません。

もっともっと完全なものにならなくてはなりません。

このためには、知性のまだ表現されていない価値から出現する、生理機能の最初期の表現が完全に健康でなくてはなりません。

これが、純粋知性から出現するすべての表現が健康であるための根本となります。

 

続く