三十三間堂の東側に養源院というお寺があります。
浅井長政の菩提を弔うために、長女·淀殿 (幼名茶々)の願いにより、豊臣秀吉によって建立されました。
本堂は伏見城の遺構で、落城の時、徳川方の鳥居元忠らが自刃した廊下は供養のため天井に上げられ、〝血天井″として有名です。
特別拝観の季節になると、係の人が懐中電灯で天井を照らしながら、細い竹の棒でここが頭、ここが体と指し示すのですが、目鼻まではっきり分かるほどくっきりと血糊の痕が残っているのです。
怖いもの見たさで拝観される方がほとんどかも知れませんが、私がこのお寺で一番興味を惹かれるのは床板なのです。
左甚五郎作と伝わる、よく磨きこまれたつるつるで黒光りする床板は、真っ平で足に一切凹凸が感じられず、まるで一枚板のようなに滑らかなのです。伏見城から移築されてなお、このクオリティってすごいと思いませんか。
私の子供の頃、自宅のお風呂は、はじめは桶型の楕円の風呂で、たぶん杉材でできていたように思います。
次にヒノキの四角いお風呂になりました。
台所の床下から上半身を床下につっこみ、ガスバーナーにマッチで種火に火をつけ、それからつまみを全開にしてボッと一気に火を付けるのは私の役割でした。
風呂のフタもヒノキの板で5枚くらいだったと思います。
対流が起こらないので、表面は熱湯のように熱いお湯なのですが、下は水のように冷たく、風呂のフタでかき回して、湯加減をみて入っていたものです。
湯気で濡れたフタは重ねると水分でぴったり引っ付いて引き離すのに苦労したのを思い出します。
左甚五郎が板を鉋で仕上げ、二枚を合わせると、水も使わないのに間が真空になって引き離すことが出来なかったと聞きます。しかし伝説の宮大工・西岡常一棟梁の本を読みますと、宮大工はそれくらいのことは誰でもできるのだと書かれていました。
日本の伝統は本当に素晴らしいと思います。このような精密さ緻密さ、手先の器用さ、ひいては意識の高さが、あらゆる工業や芸術に生かされ、日本の国力を根底から支えているのだと思います。これからもそうであって欲しいと願います。
マハリシのSCI(創造的知性の科学)のなかで、「床の客観性はなにで高められるか」という問いがあります。
答えは何だと思いますか?
答えは『主観』です。私たちの主観、意識の主観面が、床という客観性を高めるのです。
床を一心不乱に磨いて磨いて磨き続けると、やがて床はピカピカになり、自分の顔が映るほどになるのだとマハリシ先生は解説します。
自分の顔が宇宙のあらゆるところに見えてくるって、どのような光景でしょうか。マハリシ先生のおっしゃることが体験で分かる日がいつかは来るのだと思います。ブラフマン意識まで進化すれば、きっとその状態を生きていることでしょう。楽しみです。