三十三間堂

■寺社仏閣を支える柱

たとえば、東本願寺の柱、これはケヤキの大木から作られています。

千畳に及ばんとする堂内ですから柱は何本も立ち並び、硬く、重く密でどっしりとした木を手で触れて楽しむことが出来ます。

堂の再建時、巨大な木材の搬出・運搬の際には、引き綱が切れて事故が相次いだため、女性の髪の毛と麻を撚り合わせて毛綱と呼ばれるロープが全国各地から53本寄進されたそうです。

最も大きいものは長さ110メートル、太さ40センチ、重さ約1トン。

それほど重い木ですから、永遠にお堂を支えてくれるように思うのですが、ケヤキは材にしてから500年で少しづつ強度が落ち始めるのだそうです。

私の寿命からすれば気にすることは無いのですが、現在、再建から500年に近づきつつあります。

日本書紀の記述

日本書紀に、スサノヲのヒゲを抜いて放つと杉に、胸毛はヒノキ、尻の毛が槇、眉毛はクスノキになり、木の質により用途まで記されています。なかでも古代より我が国では、宮づくりにはヒノキと定められています。素性よく、加工しやすく、美しく、なにより丈夫なのです。

「木は二度生きる」

これは樹齢2千年の木から加工された木材は2千年持たすことが出来るという意味です。

そしてヒノキは使われて500年後から逆に強度が増し始めるといいます。

法隆寺には遠く及びませんが、京都で古い柱をみることができるのは、三十三間堂と千本釈迦堂です。

京都は応仁の乱でほとんどの寺社が灰燼に帰しましたが、千本釈迦堂は西の本陣とされ、必死で守りぬかれたので、今でも当時からの柱を見ることが出来、内陣の柱には矢跡、槍跡、刀傷が生々しく残り、往時を忍ぶことが出来ます。

 

 

 

 

 

 

一方、三十三間堂は中尊を含み1001体の観音様が守っているのか、857年間、大地震にも耐えて現在も変わらず建ち続けています。

長さ120メートルに及ぶこのお堂がなぜ長い風雪と災害を乗り越えて建ち続けていられるのかの解説は、お堂の西側に詳述されているので、一つ一つ時間をかけて読んで頂きたいのですが、私はこのお堂の柱が大好きなのです。

国宝に手で触れることが出来るんですよ。

直径六十センチあります。

これは、巨木を四つ割にして、イチョウ型の外側白木部分をそぎ落とし、内部の赤身部分だけを使って円柱に仕上げてあるのです。

どれほどのヒノキの巨木であったことでしょう。

 

1980年、マハリシが来日の折、私はスタッフとして東京から車で付いてゆく幸運に恵まれました。

マハリシ先生は京都では唯一、三十三間堂のみ内覧されました。

そのためマハリシ組織の海外からのお客様が京都に来られると必ずこのお堂をご案内します。

日本に1000人のTM教師が誕生すれば日本は悟りの時代を迎えることが出来る、また、二十八部衆の解説をサンスクリット語のデーヴァター名と英語での解説もあるので、海外の方も楽しんでいただけます。

中尊から見て左前方に方丈(約3メートル四方)ほどのスペースがあるのですが、僧侶の方々にお願いすると内陣でゲストの方たちが瞑想することを快く許してくださるのもこのお寺の素晴らしい点です。

1月12日の御加持は天台宗密教の修法で加持祈祷した浄水(清水に柳の枝を浸す)を妙法院門跡が柳の枝で参詣者に灌頂(かんじょう・頭頂に水を注ぐこと)し功徳を分け与え、無病息災を祈る祭儀ですが、私が僧侶の方にお聞きしたところ、インドのヴェーダの儀式を継承しているとの回答をいただくことが出来ました。

今後も更に1000年以上日本の行く末を見守り続けてもらいたいと思います。