(訂正:https://maharishi-kyoto.jp/4203/ のブログで幅の狭いノミから研ぎの練習を始めると書きましたが、西岡棟梁の本を読みなおしたところ、最初は8分(24ミリ)から始め、だんだん細いノミに移行すると記されておりました。前のブログ記事の記載か所に訂正文を入れさせていただきました。)
頭と心
人間には、感じる「こころ」と、考える「あたま」の二面があります。
徒弟制度の中でひとたび弟子になれば、一日も早く先輩や棟梁に追いつこうと、本も新聞もテレビも見ずに精進します。
また、8分が研げても幅が狭いノミになるとなぜ上手く研げないのかと考え込めば、先輩の仕事を盗み見しながら試行錯誤を重ね、とにかく仕事で使える状態まで研ぎ続けるでしょう。
それでも必ず行き詰まる時が来ます。
棟梁はその瞬間を決して見逃しません。
なぜならその瞬間しか本当の教えが伝わらないからです。
これが教えのコツです。
例えば鉋の刃です。
棟梁は『鬼の西岡』と呼ばれた人です。
棟梁がいるだけで、仕事場は朝からピーンと張りつめた空気で満ちていたことでしょう。
そんな人が、台の上に鉋(カンナ)を置いて、キセルの雁首で鉋を引っ掛け、そっと引っ張ります。
鉋屑はどこにも出てきません。
そこに息をふっと吹きかけ、ひゅるひゅると出てきた鉋屑は、向こうが透けて薄く透明です。
ただ見本を見せるだけです。
その瞬間、身動きが取れなかった弟子の頭と心の拮抗が一気に崩れ、また精進が始まります。
「姿勢が悪くても研げません。
力の入れ具合が悪くてもできません。
癖があったら研げません。
自分の癖はわからないものです。
その癖が研ぐときに出るんですな。
急いでも、力を入れても研げませんのや。」
これが棟梁の言葉です。
自分で研げて一人前
大工の修業の基礎は刃物研ぎで、すべてに通じるのだそうです。
見出しの写真は西岡棟梁が大斗を槍鉋で仕上げている写真だと思われます。
素人でも器用な人は、まれに槍鉋を上手に使える人がいるそうですが、この反り返った形状の槍鉋を素人が研げると思いますか。
まず不可能です。
ですから研ぎの基礎が大切で、8分幅のノミから研ぎの練習を始め、1年かかろうと3年かかろうと、決して急ぐことなく、その人が納得できるまで十分時間をかけて研ぎを修得させるのだと書いてあります。
『体は飯を食わせれば大きくなりますが、心はそうはいきませんやろ。
心の糧は五感を通して心の底に映る万象を正しゅう判断して蓄えること。
これが心に飯を食わすということですな。
この心に糧を与える手助けをするのが教育というもんでっしゃろな。』
賢愚深浅の差に合わせて教える、これが棟梁の言葉です。
おわり