私は東京都世田谷区の生まれですが、関西在住期間のほうが永くなりました。

大阪都構想にはとても興味があり、両者の言い分を注意深く確認しています。

 

「東京都・世田谷区」が「東京都・東京市・世田谷区」でないように、(以前はそうだったようなのですが)、

私は大阪都構想は、要は、「大阪府・大阪市・〇〇区」から大阪市が取れて、「大阪府・〇〇区」になることだと理解しています。

しかもほんの少し、東京より、区の権限が強くなる、いや弱くなるとの見解の違いのように思います。

政(まつりごと)

日本語には政(まつりごと)という言葉があり、一説によると、「間宙る」から来ており、「祭る」「祀る」「政る」は同じ意味だと聞きます。

天と地、神と自分、天の法則と地上の営みのバランスを取りもつことが本来の治世の意味であり、そこには調和・バランスが存在しなければなりません。

 

大阪都構想の賛成派、反対派どちらの意見を採用したとしても、『府』と『市』、『行政管理する側』と『管理される民衆』が同等の立場で和をもとにした治世でなければならないのです。

府や市、各政党間に働いている原理は、小さな領域の法則であり、個々が我を張る場ではなく、個々が全体と調和していなければ、これまでと同じ行政区分でも、新しい機構になっても、何も変わらないように思います。

 

ヴェーダの知識の中に

タット・スリシュヴァー タット・デーヴァーヌプラーヴィシャート(タイッティリーヤ・ウパニシャッド、2.6.2)

という詩句があります。

管理者は、自分が管理するあらゆる事物のなかに存在している。

創造主は、自分が創造した世界のあらゆる細部のなかに存在する。

言い換えれば『「自己」が自らを管理する』状態で、これが、「管理の最高の理想」です。

この状態では、管理者と管理される対象とのあいだには違いがありません。

管理者は、親としての役割を永遠に果たしつづけ、つねに、自分が創造した事物の未来を守り続けることができます。

 

また、有名なバガヴァッド・ギーターの中に、

योगस्थ:कुरुकर्माणि ヨーガスタハ クル カルマーニ(バガヴァッド・ギーター、2.48)

ヨーガに立脚して行動をなせ

という詩句があります。

自然法の源(ヨーガ、静寂、均一性、無行動)に立脚し、そこから行動をなさなければ、永続的な安定性と自然からの支援を得続けることはできません。

 

世界中に現存する政府の行政管理は、諸問題の重圧とストレスのもとで責務を遂行し、不安と不満がづづく日々を過ごし、難題や障害にまみれて存続しています。

超越瞑想による純粋意識の経験も大多数の政治家は知らずに、行政という場で戦い続けています。

したがって、そのような政府や行政が「無行動の状態における行動」という原理を知的に理解することは難しく、実用的でないと思うかもしれません。

 

しかし、この「無行動の状態における行動」という行動のしかたは、超越瞑想の実践により容易に実行に移すことができます。

これは、生命を育む行動原理です。

この原理からはずれた行動の仕方は、消耗をまねくだけに終わります。

ですから、一人でも多くの行政管理者にTMを実践していただきたいと切に望んでいます。