5月6日のブログにも書いたのですが、
聖徳太子十七条憲法の第二条『篤く三宝を敬え』の言葉は有名なのでご存知の方もいらっしゃると思います。
そこで、京都の禅寺の伽藍の配置を7つの意識状態への進化の観点からみると、とても興味深いものがあります。
寺社には池が配置されていますが、「心字池」、「阿字池」、「鏡湖池」、「放生池」等は名称は違えど、すべて意識の海を表すと考えて間違いないと思います。
その配置と意味から、ヴェーダ的に解釈してみたいと思います。
生きとし生けるもの、ダルマ(法)の流れに従い進化の道を歩みます。
『総門』をくぐると池があり橋が架かっています。「方丈池」です。
この意識の領域を純粋意識へと渡るために瞑想のテクニックがありますが、
そのまえに功徳を施すため、生き物を解き放つ『放生』があります。
そして、いよいよ『三門』(純粋意識、第四(トリーヤ)の意識を経験します。
ヴェーダの知識では、
①眠っている状態の意識、
②夢を見ている状態の意識、
③起きている状態の意識
の次の4番目
④超越意識を体験することにより、そして、①②③と④を交互に体験することにより、
より速やかにその先の意識状態に進化していくとされています。
セトゥーン・スタラというサンスクリット語は、「そこを通って・橋渡し」という意味だったと思います。
つまり三解脱の意識状態へ確実に開くことにより、より高い意識状態へ確実に、より早く、奥(先)に進化して行けると言えるでしょう。
第四の意識状態:超越意識(純粋意識)空、無相、無願の意識。三解脱
サンスクリット語の「śaraṇa शरण」パーリ語の「saraṇa」は、保護所・避難所という意味があるようです。
第四の意識状態=超越意識とは、超越瞑想中に経験される独特の意識状態です。
これまでなされてきた600の科学的調査によりますと、
超越瞑想は、心、体、人間関係、環境にわたり多大な恩恵があることが明らかにされています。
超越瞑想を実践すると、心は内深くに入っていき、意識の拡大を経験します。(空・無相=むしょう)
そして、やがて、完全に静寂で、枠のない意識の状態へと至ります。(空・無相=むしょう)
これが超越意識(純粋意識)の体験です。(保護所・避難所とも言えましょう)
この状態は、安らいでいながらも、心ははっきりと目覚めていて、機敏さを保っていますが、想念はありません。(無願・むげん。願求の意識がありません。)
また、純粋意識は、至福、創造性、エネルギーの源であるので、純粋意識を経験するとき、心は、至福、創造性、エネルギーに満たされます。
そして、マイスナー効果のように、あらゆる外圧から自由になります。(解脱)
高次意識への進化は、第四の意識状態へ確実に意識を開くことで最も早くスムーズに高次意識に達しやすくなります。
デジタル大辞泉によると三解脱門について次のように記されています。
一切を空と観ずる空解脱、一切に差別相のないことを観ずる無相解脱、その上でさらに願求(がんぐ)の念を捨てる無願解脱。
三寶 (tri-ratna トリラトナ)=統一場。ガッチャーミ=行く という理解
「篤く三宝を敬え」の原文は三帰依文ですが、
マハリシは
三寶 (tri-ratna トリラトナ)の場へ、行きなさい(ガッチャーミ)
つまり統一場、純粋意識の場に行きなさい、と解説しました。
buddham saranam gacchAmi
ブッダム・サラナム・ガッチャーミ
ブッダ=知識・智慧。すべての宇宙の知識のある場=統一場へと行きなさい。
dhammam saranam gacchAmi
ダンマム・サラナム・ガッチャーミ
ダンマ・ダルマ=すべての自然の諸法則Laws of Natureの集まっている源Total Natural Lawの場=統一場へと行きなさい。
sangham saranam gacchAmi
サンガム・サラナム・ガッチャーミ
諸説あるのかもしれませんが、私はこの解釈がヴェーダの知識に照らし正しいように思います。