──そこには進化も運命もなく、ただ存在だけがある

アルベルト・アインシュタインは、史上最も偉大な科学者の一人として広く認められている。

彼のすべての業績は一つの究極の目的に集中している。

それは、自然界の多様さの根底にある統一を理解することである。

アインシュタインの特殊相対性理論(1905年)は、物質とエネルギー、および光と時間は根底において統一されることを明らかにし、そして一般相対性理論(1916年)は、重力と加速度、空間と時間、物質と空間は統一されることを示した。

 

アインシュタインは、人間や宇宙についての私たちの考え方を大きく変えた。

そして彼は後半生を費やして統一場の理論の発展に努力を傾けた。

統一場の理論とは、自然界の根底にあり、すべての力を生み出す根源になっていると彼が確信していた、ただ一つの場を説明する理論である。

彼は、仲間の物理学者たちからの批判をよそにその努力をひたすら続けた。

 

結局のところ、自然界の基本的な四つの力のうちの二つ(強い核力と弱い核力)は、アインシュタインの死後数十年を経るまで十分に解明されなかったし、彼が追い求めた統一を成し遂げるための数学的方法も開発されなかった。

アインシュタイン自身の探究は実を結ばなかったが、彼が直観で感じとり、ひたすら追い求めた統一の理論は、現代科学を「万物の理論」の探究に向かわせる刺激となった。

この探究は今日、いわゆる「超ひも」あるいは「統一場」の理論という形でほぼ完成に近づいている。

自然界は根底では統一されているというアインシュタインの確信はどこから生まれたのだろうか?

後半生の数十年間、批判を受け、成功が得られなかったにもかかわらず、何が彼を生涯の仕事へと駆り立てたのだろうか?

 

その手がかりは、アインシュタイン自身が、ベルギーのエリザベス女王に宛てた手紙の中に残している。

その手紙の中に次の一節がある。

……ですが人間にはその宿命である限界や無力から解放されているのを感じる瞬間があるのです。

そのような瞬間に人間が思い浮かべるのは、自分自身が小さな惑星のある場所に立っていて、永遠なるもの、不可思議なものが放つ、冷厳ではあるが心からの感動を呼び起こす美しさを、茫然として見つめている光景です。

そのとき生と死が一つに流れこみ、そしてそこには進化も運命もなく、ただ存在だけがあるのです。[1]

 

ここでアインシュタインは、生命の根源的な実在をかいま見た、おそらく彼自身の体験について述べている。

その実在は、空間と時間を超えているだけでなく、生と死を超え、進化と運命を超えた次元にある。

彼はこの次元で何を体験しているのだろうか?

「ただ存在だけ」であると、彼は私たちに教える。

 

アインシュタインの言葉は、内側と外側(主観性と客観性)のあらゆる生命の根底には純粋な実存の場がある、というマハリシの教えを想い起こさせる。

マハリシは当初からそれを「純粋な存在」と呼んでいた。

それは、純粋意識の非具象の場、すなわち無限の知性と創造性の場である。

この場は宇宙の万物の源を形成しており、被造界のあらゆる形態と現象は「存在」の大海の表面に起こった波にすぎない、とマハリシは説明した。

その上でマハリシは、この生命の内なる場を体験するためのテクニックを提示した。

 

これこそが超越瞑想と呼ばれる、簡単で、自然で、努力のいらないテクニックである。

私たちがこのテクニックを実践すると、心は思考のプロセスを乗り越えて(超越して)、内側の純粋意識の大海(真我)へと拡大する。

それと同時に身体は落ちついて独特な深い休息の状態になり、ストレスが解消され、生理のバランスが回復する。

 

この状態は、目覚め、夢、深い眠りの意識とは異なる、第四の意識状態であることがわかった。

マハリシはそれを「超越意識」と呼び、超越瞑想の規則的な実践、すなわち、この第四の意識状態の規則的な体験は、私たちが内なる潜在能力と高次意識状態を発達させるための鍵になると説明した。

このことは過去四十年間で何百もの科学的研究が実証している。すなわち、超越瞑想によって知性と創造性が高まり、バランスのとれた人格成長が促され、健康が改善し、人間関係が良好になり、周囲の環境の中の調和と平和が非常に増大することが実証されたのである。

 

私たちが超越するとき、想念の源を体験するだけでなく、宇宙全体が創造・維持されている知性の大海を体験する、とマハリシは強調した。

その結果、私たちは、マハリシのいう「自然からの支援」を得て、願望をより簡単に実現するようになる。

高次の意識状態が発達につれて、私たちは直接体験として、生命の究極の統一を認知するようになる。

つまり、宇宙の万物は、無限かつ永遠である私たち自身の真我の体験にほかならないという真実を理解するようになる。

 

アインシュタインはそのことを1950年に書いた手紙の中でこう示唆している。

人間は、私たちが「宇宙」と呼んでいる全体の一部であり、時間と空間が限定された部分なのです。

人間は、自分自身や、自分の思考と感情を、残りの部分から切り離されたものとして経験します。

それは人間がいわば目の錯覚として自分の意識をとらえているからです。

この錯覚は、私たちを閉じこめる牢獄のようなものであり、そのため私たちは、個人的な願望や、身近な少数の人たちへの愛情だけにとらわれてしまいます。

私たちの仕事は私たち自身をこの牢獄から解放するものでなければなりません。

そのためには、すべての生き物と自然全体をその美しさのままに抱擁できるように、私たちの思いやりの輪を広げていく必要があるのです。[2]

 

アインシュタインの統一の探究は、単に知力を駆使することではなかったようだ。

アインシュタインは、彼が内側深くで体験したものを、現代科学の方法論を通して理解しようとしていた。

この体験はアインシュタインにとってこの上なく重要なものであった。

 

私たちが感じ得る最も精妙な感情は神秘の感情です。

この感情の中にあらゆる芸術とあらゆる真の科学の萌芽があります。

この感情に無縁な者、不可思議の念をもはや感じることができなくなった者、恐怖の状態で生きている者、彼らはみな死んでいる人間です。

私たちが計り知ることができないもの、それは実際に存在していて、それ自身を最高の叡智、最も輝かしい美として顕現させているのですが、私たちの能力が乏しいうちはその粗大な形態だけしか理解できないのだという気づき、そのような知識、そのような感情、それこそが真の信仰心の核心なのです。

その意味で、そしてその意味でのみ、私は自分が最も信仰の厚い人間であると自負しているのです。[3] 

 

アインシュタインのいう「神秘の(mystic)」とは、「謎めいた」とか「不可解な」という意味とは異なっている。mysticはギリシャ語から派生した単語だが、元のギリシャ語は「閉じる」(例えば目を)という意味にすぎない。

私たちは超越瞑想中、目を閉じ、内側に潜り、そして純粋意識の場を体験するための簡単な方法を実践する。その場は、アインシュタインが「あらゆる芸術とあらゆる真の科学の萌芽」と表現したように、実際、あらゆる被造物の根源なのである。

アインシュタインにとっては、この体験こそが人生の目的であった。

人間の真の価値を決めるものは、第一に、人間が自己からの解放をどれだけ達成したか、そのときに何を感じとったか、ということなのです。[4]

 

「自己からの解放」とは、マハリシの理解に照して考えれば、個別的な自己(私たちの心や私たちの自我に結びついた自己)を超越すること、つまり、普遍的な「自己」、枠のない純粋意識の場を体験することである。

この荘厳で崇高な体験をかいま見たことが、生命の究極の統一を理解しようという探究にアインシュタインを駆り立てたのだ。

そして今では、マハリシのおかげで、すべての人が簡単にこの体験を得られるようになっている。

原文・CRAIG PEARSON, PH.D.

 

 

REFERENCES
[1] Jeremy Bernstein, Einstein (New York: Viking Press, 1973), 11.
[2] From a 1950 letter, quoted in Walter Sullivan, “The Einstein Papers: A Man of Many Parts,” New York Times, March 29, 1972, 22M.
[3] Quoted in Peter Barker and Cecil G. Shugart, eds., After Einstein: Proceedings of the Einstein Centennial Celebration at Memphis State University (Memphis State University Press, 1981), 179.
[4] Albert Einstein, The World As I See It I (New York: Open Road / Philosophical Library, 2011), 10.