存在の科学と生きる技術『超越瞑想』

第二部「生命」より


生命とはどのようなものかを説明するのに、例をあげてみましょう。

私たちは、水素や酸素が気体であることを知っています。

また、これらの気体が化合してH₂Oとなると、水ができるということもよく知っています。

気体が水になったのですが、本質的な構成要素であるHとOは元と同じ水素と酸素です。

水が凍って氷になるときも、性質は変化しますが、構成要素は変化しません。

液体の水が固体の氷になります。

透明な水が不透明な氷になります。

しかし、このような変化にもかかわらず、本質的な構成要素である水素と酸素は変化しません。

同じ元素が異なる状態の中にみいだされるのですが、それらは異なる性質をもって現れ、異なる現象を生み出しています。

 

それはちょうど一人の人間が、舞台の上では俳優として、競技場では運動選手として、学校では学生として、マーケットでは買い物客としてあらわれるのに似ています。

 

裁判官は、法廷に座る時には裁判官の服を着ますが、クラブに出かけるときはクラブ用の服を着ます。

また、家にいるときには外出着とは違うものを身につけます。

そして夜、就寝するときにはまた別のものに着替えます。

服装はさまざまに変わりますが、人は変わりません。

ほかの人たちから呼びかけられるときにも、いろいろな名前で呼ばれますが、その人はいつも同じ人です。

 

これと同じように、宇宙の万物のさまざまな形態や現象は、すべて異なる性質をもっています。

どの二つの形態をとってみても、完全に同じということはありません。

同じ形のものであっても、時間の経過とともに変わっていきます。

しかし、このような被造界の絶えず変化する現象の根底にある真実は、いつも同一の、永遠で不変の絶対「存在」なのです。

ー中略ー

生命の三つの面はココナッツの実に例えることができます。

ココナッツの実の外側の部分は硬い殻からできています。

その殻の下に実のもっとも微妙な部分があります。

つまり乳液が固まって一つの層になった胚乳があります。

胚乳のそのまた奥には、ココナッツのエッセンスともいいうべき純粋な乳液があります。

このように、純粋な乳液が固まって胚乳の層に変化し、さらにその周りの硬い殻の層となって、実の貴重な内面を保護するようになっているのです。

 

同様に、個人の生命においても、そのエッセンス、つまり乳液にあたるのが内に隠れた絶対「存在]であるのです。

そして、生命のこの超越面が形をとって外に現れているのが、自我、理知、心、五感であるのです。

このような生命のさまざまな微妙な状態が、人間の内側、つまり胚乳にあたる生命の主観面を構成しています。

生命の主観面は生命の客観面とは異なっています。

生命の客観面とは、さまざまな部分からなる肉体、殻にあたる生命の外面のさまざまな部分のことです。

 

生命を全体的に理解するためには、その超越面と主観面と客観面を考察しなくてはなりません。

これら三つの観点から個別実存をはっきり理解することに成功すれば、そのとき私たちは生命の全範囲を理解したことになるでしょう。