マハリシとビートルズ:本当は何が起こったのか?

                                          筆者:トム・マッキンレイ・バル    

ビートルズは1968年にマハリシと出会い、リシケシでマハリシと数週間を過ごし瞑想を学んだ。ビートルズとマハリシの交流について、マスコミでは多くの報道がなされ、インターネットでもその話題が取り上げられている。けれども多くの人々は、ビートルズがマハリシや超越瞑想の世界的な運動に影響を与えた以上に、マハリシがビートルズに影響を与えたことについては何も知らない。

マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーは2008年2月5日に逝去した。ビートルズがリシケシを去ってからおよそ40年後のことである。ジョン・レノンはマハリシに再び会うことはなかったが、何年か後に電話を通して、彼の若気の至りが起こした不幸な出来事についてマハリシに謝罪した。その出来事とは、マハリシが不正行為を犯したという非難をジョンが公然と行ったことだが、それはマハリシにとってまったく謂われのない非難であり、すべてはジョン自身の激しい気性から起こった出来事のようだった。

 

「僕は今でもTMをしている」と、後年ジョージ・ハリソンは語っていた。「マハリシは僕らのためになることだけをしてくれた。あの時以来、僕の体はマハリシから離れたところにいたけれど、心は決してマハリシから離れたことはない」。一九九二年、ジョージは英国における超越瞑想とその他の「意識に基づく」プログラムを支援するために慈善コンサートを開催した。

ポール・マッカートニーとリンゴ・スターも瞑想を続け、二〇〇九年四月には、超越瞑想の学校導入を促進するための慈善コンサートを開催した。「クレイジーな60年代の終わり、自分を安定させる何かを探し求めていた時に瞑想と出会った」とポール・マッカートニーは語っていた。「それ以来、僕は40年間瞑想を続けている。狂乱のただ中にあっても、瞑想のおかげで平穏な時間が得られるようになった」。

リンゴ・スターも次のように述べていた。「瞑想はマハリシからの贈り物だ。これまで人からもらったものの中で、本当に大切だと思えるものは少ない。瞑想は、その数少ないものの1つだ」。

 

ビートルズを甦らせた「超越」の体験

マハリシの逝去に際して、ニューヨーク・タイムズはビートルズとマハリシの交流を「再評価」する記事を掲載した。長い歳月が過ぎた後にマスコミがようやくこの件を正しく伝えるようになったのは喜ばしいことだ。

「インドでの経験」、すなわちビートルズがマハリシと共に過ごして超越瞑想を実践したことで、ビートルズの創造性はせきを切って流れ出し、そして「彼らはマンネリ状態に陥ることの恐怖から抜け出した」とタイムズの記事は報じている。

その記事はさらに、マハリシと過ごした時期はビートルズの人生でもっとも生産的な時期であったと表現し、次のように記している。

「マハリシと出会う前、ビートルズは『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』をリリースしていた。そのアルバムを作ることの意義のひとつは、ビートルズであるというストレスから生じた不活発な状態に打ち勝つために、ビートルズではない架空のバンドを装うことにあった。このアルバムにはビートルズのもっとも素晴らしい音楽が何曲か入ってはいるが、アルバムに入れる他の曲を作るのに苦心惨憺していた。だが、リシケシで過ごした後、ビートルズは持てあますくらい多くの新曲を生みだすようになっていた」。

ビートルズ通の人々や音楽制作者たちの多くが、「ホワイト・アルバム」をビートルズの最高傑作と考えている。だが、ビートルズのインドでの経験、そして「内面から変わる」ことの影響が、彼らの創造性と作詞能力を高めたことに気づいている人は少ない。マハリシの教える瞑想法は、すべての人の内側に備わるエネルギーと創造性の無限の宝庫を利用するための方法である。活力を取り戻し、創造性を高める「超越」の効果をビートルズが立証してから40年。現在では、何百もの科学的研究が、超越瞑想を通じて創造性が刺激され、人生のあらゆる面に効果がもたらされることを証明している。

しかし、ビートルズのインドでの経験に関するマスコミの報道は、ジョン・レノンがマハリシのアシュラムから突然退去したことをめぐる扇情的なエピソードに関するものがほとんどであった。

本当は何が起こったのか?

 

ほとんどの報道記事では、ビートルズが去ったのは彼らが幻滅したからであるとしていた。ビートルズ自身も、去った理由についてそれぞれのメンバーがいろいろなことを語った。最近、タイムズ・オブ・インディアは、瞑想のコース中にビートルズがドラッグを使用したためにマハリシが彼らに退去を求めたのだというジョージ・ハリスンの談話を掲載した。

ただ何かしらジョン・レノンを不機嫌にさせる出来事があったことも間違いない。レノンは、「セクシー・サディー」という曲の中で、マハリシを過激に批判する言葉を入れた。レノンの非難についてマスコミは大げさに騒ぎ立てたが、マハリシが不正な行為をしたという主張は、結局なんの根拠もないことが明らかになった。

1980年にレノンが亡くなって数年後、ハリスンとマッカートニーはマハリシへの非難について公の場でコメントした。マッカートニーは、不正行為というのはアレクシス・マーダスによって立てられた噂であり、「マーダスは発明家という触れ込みのペテン師で、ビートルズの内部関係者の中に入り込んできた男だった……」と語っている。多くの消息筋によれば、マハリシの不正行為という噂は全部彼がでっち上げたものであり、不幸なことに、レノンはその噂にだまされてしまったのだ。ジョン・レノンの最初の妻であるシンシア・レノンも、その噂はビートルズがマハリシから影響を受けるのを邪魔しようとしてマーダスが捏造したのだと自伝の中で述べている。

ハリスンは後年、「今となっては昔のことだが、あってはならないことが起こっているという噂が持ち上がった。だがそれはまったくのデマだった。… その当時は少し変な連中がまわりにいて、ボクらもそんな連中の一人だったのさ」と語っている。

マッカートニーも自伝の中で同じように語り、またマハリシの逝去の際に公表した声明の中では、こう述べていた。「マハリシの永眠に深い悲しみを感じてはいますが、彼との思い出は楽しいものばかりです。彼を想うとき私はいつも微笑みを浮かべることでしょう。」

 

 

 

ビートルズの中では瞑想への「入れ込み」が最も少ないと言われていたリンゴでさえ、著書の中で、今でもマハリシから授けられたマントラを使って瞑想していること、そして、リシケシで過ごした時期が彼の人生で最高の経験の一つだったことをつづっている。二〇〇八年二月、リンゴはマハリシについてこう語っていた。「私が人生の中で出会った最高の賢者の一人がマハリシだった。私はいつも、彼が喜びに満ちていることに感銘を受けていた。」

 

ザ・ヒストリー・チャネル: 記録を正す
誰が誰に影響を与えたのか

瞑想の教師としてマハリシが大きな成功を収めたのは、ビートルズのおかげだろうか? それとも、マハリシの業績は彼自身の教師としての能力の結果であり、TMが人々の人生にポジティブな影響を与えてきたからだろうか?

50年にわたって超越瞑想は世界中の何百万人に教えられてきた。そして、ハーバード大学メディカルスクール、 UCLA、スタンフォード大学、イェール大学など230以上の研究機関で、600件を超える科学的研究が行われてきた。こうした研究によってTMの効果が証明された現在、超越瞑想の成功の原因を一組のロックバンドだけに帰するのは無理な見方というものだ。アメリカ国立衛生研究所は、脳機能や心血管系の健康に及ぼす超越瞑想の影響を研究するために、これまで2400万ドルの資金を提供してきたが、こうした研究はロックンロールとは何の関わりもない。そんなことで、これだけの資金が提供されるわけはないのだ。

ビートルズが関与したことで、マハリシと超越瞑想に一般の注目が集まったのは確かだが、それらの報道はマハリシに対して批判的なものが多かった。長い年月が過ぎ去り、今では超越瞑想がビートルズのおかげで「成功」したのではないことは明らかである。

 

 

そして40年を経た今、ビートルズは再び人々を瞑想に導いている。ポール・マッカートニーは、超越瞑想を学生たちに普及させるために「変化は内側から始まる」と銘打った慈善コンサートを催した。このコンサートは2009年4月に、ニューヨークのラジオシティ・ミュージックホールで開かれ、シェリル・クロウ、ドノヴァン、ベン・ハーパー、モービー、ポール・ホーン、ビーチボーイズのマイク・ラブ、パール・ジャムのエディ・ベッダー、その他多くのアーティストが出演した。

オノ・ヨーコさえも観客席の中にいた。彼女は『ローリングストーン・マガジン』の取材を受けてこう語っている。「ジョンがもしここにいたら、まっ先に、マハリシの世界への貢献を認めて、感謝を捧げていたと思うわ」

ビートルズの曲の中には、マハリシからインスピレーションを受けて生まれた、ポジティブな曲もたくさんある。「アクロス・ザ・ユニバース」もそうした曲の一つであり、ジョンはこの曲の歌詞を彼の生涯で最高の作品だと考えていた。

 

「地上の天使」

 

過去にいろいろなことが起こったが、マハリシがビートルズに反感を抱くことは決してなかった。一九九一年にハリソンがオランダにいるマハリシを訪問したという記事がタイムズ・オブ・インディアに掲載されたが、その記事には次のようなエピソードが紹介されていた。

ビートルズ伝承によると、ビートルズがアメリカのテレビに初めて登場したとき、その時間帯にはアメリカでほとんど犯罪が起こらなかったという。「私がこの話を聞いたとき」と、マハリシは訪問中のハリソンに言った。「ビートルズは地上の天使のようだと思いました。ジョンが何を言ったか、何をやったかは大したことではありません。私には天使に腹を立てることなどできません」。マハリシから、このような無邪気で心温まる返事を聞いたとたん、ジョージは泣き崩れて嗚咽した。

マハリシは五〇年以上にわたって、生命の本質について詳しく説いてきた。しばしば「意識の分野のアインシュタイン」と呼ばれるマハリシは、失われていた瞑想の技術を復活させ、その瞑想の効果を科学的な実験によって証明してきた。有史以来、一つの瞑想法がその教師の存命中に六〇〇万人の人々によって学ばれ、そしてそのような証明可能な効果を生み出したという記録は他には存在しない。

そしてマハリシは、ビートルズの心と理性を、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」よりもはるかに素晴らしい真実へと導いた。その真実が彼らの人生を永遠に変えたのだ。