私がTM教師になり最初に赴任地は札幌

1982年春浅いころ、東京から三菱ギャランのバンに家財道具一式を積んで出発した。

釧路でバンドを組んでいた奈良裕之さんのいる釧路までは、ほぼノンストップでも札幌から車で9時間以上、

まだほとんど高速道路が通っていないころだった。

やっとの思いで釧路に着くと、日産サニー1200ccトラックに乗って颯爽と現れた奈良さんは当時からかっこ良かった。

 

「奈良さんが良いというから、始めます」と、説明会を聞くまでもなく皆さんTMを始めてくれた。

釧路の川村ふとん店のご家族をはじめ、多くの方々が奈良さんの紹介でTMを始め、本当に楽しい時期だった。

そのころ奈良さんから「この人もTMをやっているんですよ」とプレゼントされたのが、

ポール・ホーンのLP、それは私の宝物となった。

なので、奈良さんとの縁も37年以上になる。

奈良さんが現在の一人で演奏するスタイルに変わったのも、ポール・ホーンも少しは影響したのかもしれない。

京都安楽寺で奈良さんと


さて、ポール・ホーン氏に話を戻すが、この偉大なミュージシャンは惜しくも2014年6月29日鬼籍に入った。

以下は、2008年4月ニューヨークで行われたTM瞑想チャリティーコンサートの記者会見より

スピーチをするポール・ホーン。リンゴ・スターとドノヴァンと 【ポール・ホーン】ジャズ音楽に革新を起こしたことで知られ、ワールドミュージック(世界各地の民族音楽を採り入れたポピュラー音楽)の創始者

「私は1966年に瞑想を始めました。そして、アメリカで最初の12名の教師の一人になりました。
UCLAとバークレーで最初にTMに興味を持った学生の一人でもありました。
TMに夢中になったので、音楽をやる時間もなかった程です。
1週間に7日間、休みなくTMを教えていまいた。バークレーにも行ったり来たりして、TMを教えていました。
あの頃は、ずっとそんな事をしていましたが、私の人生で最も幸せなときでした。
TMは私の人生にとって重要なものとなり、あらゆる面で私の人生を支えてくれました。
 
その2年後にインドに行ったとき、今このステージにいる素晴らしいメンバーと出会い、それもまた私の人生を変えました。
ある日、私はタージマハールを訪れ、フルートを吹きました。
それまでアルバムを作ろうと思ったことはありませんでしたが、そのとき全てが変わりました。
私の人生は、あらゆる面で瞑想の影響を受けています。
その原理はシンプルです。内側には静けさがあり、全てはその静けさから始まります。音は音の無い所から始まり、行動は行動の無い所から始まります。
日常生活で効率的でありたければ、その静けさのレベルから行動すれば良いのです。
それが、ディヴィッド・リンチが、子供達に教えていることです。
それは知的に理解するものではなく、実際に体験することです。
体験することが重要です。
 
そのことをいくら説明しても、実際の体験を与えることは出来ません。
そうした説明は、何の意味もありません。
12〜3歳の都会の子供達が、内面の静けさを体験することで、あまり怒りを感じなくなったり、大変困難な状況を乗り越えています。
そうしたTMの効果は科学的に実証されています。
そのために40年かかりました。40年は長いようで、短いものです。
40年かけて人々が理解したことは、TMは宗教ではなく、哲学でもないということです。
人生をどう生きるべきか教えるものでもありません。ただ、こう言うだけです。
「内側にある静けさを体験してから、1日を始めなさい。
そうすれば、変化は自然に起こります」。
ディヴィッド・リンチ監督が行っていることは、驚くべきことです。
世界が求めているのは、境界線がなくなることです。
世界中のどこでも子供達がもっと子供らしくなり、より良い世界が生み出されるでしょう。」

草創期の偉大なTM教師のひとりトムさん

 

(川井)

今年の1月、インドケララ州でパンチャカルマを受けたとき、トムさんがアーユルヴェーダトリートメントを受けに来ていた。

TM教師になり、最初の数年で数万人に超越瞑想の指導をした偉大な先駆者の一人だ。

50年前、リシケシのアシュラムに行ったとき、ちょうどビートルズが来ることになり、予約していた部屋が取られてしまったんだと、冗談ぽく朝食時に話してくれた。

ポールホーンもその時TM教師としてトムさんと一緒にアメリカ中を飛び回っていたに違いない。

私もTM教師になって40年弱経過した。ポールホーンが言うように、40年の歳月は、長いようで短い。

きっと日本でも、時代が超越瞑想の価値に気が付いてくるに違いない。

 

以下YouTubeより私の好きなPaul Hornの演奏